広報かつら No.249 1990(平成2)年 12月
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軍葦軍韓翠罪潔髄蔑髄髄髄牒髄髄髄確度儀償億灘磯蘭瀾感規揺揺油減招招 広報かつら t2月号掛違掩)詔 思い出の地へ贈る この度、芸術院会月日展常務 理事の彫刻家小森邦夫(水戸市 在住)先生より、日本芸術院賞 受賞作品青春譜像が役場玄関前 に寄贈されました。先生は、昭 和二十年から二十五年迄、戦後 の困難な一時期を旧沢山村赤沢 にアトリエを構、え、制作活動を 続けられた御礼にと贈られたも のであります。 早速、十1月十八日村は代表 者並びに地元知人の御出席を賜 り「青春譜」像の除幕式を行い ました。 今後、本村の芸術文化発展に 寄与するところ大なるものと信 じます。小森邦夫先生ありがと う御座居ました。 =先生の主なる経歴= 小林邦夫先生は、大正六年六 月六日東京浅草今戸町に生れる。 小学校時代より、図画工作に特 別な興味をもち日本大学付属中 学校に進学。当時の斯界で天才 作家と謳われていた陽成二に入 門陽先生が三十七歳の若さで 急逝したため、当時の帝国美術 月会員、斎藤素厳の構造社彫塑 研究所に入所す。昭和十二年、日 本大学専門学部美術科に学ぶ8 昭和十五年春に、小倉塾のアトリ エを借りて出品制作。秋の文部 省主催紀元二千大官年奉祝展に 「めぐみ」と題した裸婦像が初 入選、彫刻家としての門出をな す。支那事変時、上官の美術史 家(日本彫刻史専攻)小林剛氏 を頼り、昭和十九年三月より博物 館に勤務す。氏乃拍導もあり古 ( 「青春譜」の像 美術に対する関心を高める。昭 和二十年三月、東京大空襲のため、 博物館を退職。御前山近くの津 山村(親柱村)に疎開。日展第 五固までの出品作はこの赤澤で 制作。交通の利便を考え、昭和 二十五年、水戸市常磐町(現天王町) にアトリエを移築し、制作括動 に入るごJの間、昭和十五年春よ り終戦まで三度の召集を経験。 昭和二十一年三月文部省主催の官 展が復唱第一回日本美術展覧会 に応募、「久遠」が入選。続い て同年秋の第二回日展に「想い」 が再入選す。以後も数々の優作 を制作今日の基礎を作り上げ られた。 小森邦夫先生御夫妻 搾絆 2 2 2 2 3 3 4 5 5 5 6 6 和和和和和和和和和和和和 昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭昭 ●l▲▼■’1.11.1llll▲▼▲▼l_T■▼l・lll・・l・l▲’二■・▲▼l・・ll・ll・lll▲▼・ll・・■▼▲▼・■▼▲▼llllli一lll1111▲▼l▲■・▲▼l1.1・.1..■ llヽ ( 制作の中より主な受賞作晶 第5回県展「菊池五郎先生像」知事賞 茨城彫塑家協会結成 第6回県展「女の首」茨城新聞社賞 第9回日展特選「ながれ」朝倉賞受賞(県立美術館収蔵) 茨城美術家協会結成、理事長となる 第11回日展特選「裸婦立像」朝倉賞受賞 第12回日展無鑑査「若い女」特選、朝倉賞受賞 茨城文化団体連合結成、理事長となる。 第12回日展・評議員「腰掛けた婦」文部大臣賞受賞 第13固日彫展「休む婦」地域文化功労文部大臣表彰 県美術祭美術展「青春譜」日本芸術院賞受賞(県立美術館収蔵) 日展理事に推挙 第17回日展「湖畔に仔つ」出品 県美術展「湖畔に庁つ」委員 いはらき賞受賞 現在日展理事
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