広報かつら No.243 1990(平成2)年 6月
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茶話答凝我詳業苦黒箕※喜※寮監謙荒涼光義課業洋繋薄鮮罰憲謹薫黒蕊嘉広報かつら 6月号詫#(2)凝 明るい、豊かな緑の村 一〇、000人めざして…… 限られた財源を重点的、かつ効率的に配慮し健全なる財政運用 を基本に事業の推進、生活環境の整備を図る施策が講じられていま すが、〝桂村は過疎地域ですよね。″又〝桂村はどうして過疎なの″という 言葉がきかれます。そこで過疎地域となる要件を述べてみましょ、ユ ー、⑦ 昭和六十年の国勢調査人口の昭和三十五年対灘波少率 (人口減少率)が二十五%以上 ㊥ 人口減少率が二十%以上で昭和六十年の高齢者〓ハ十五 歳以上)人口の割合が十六%以上 0 人口減少率が二十%以上で若年者(十五〜二十九歳)人 口の割合が十六%以下 二、昭和六十一年皮から昭和六十三年度までの財政力藷数の平均 値が〇・四四以下(桂村〇三五) となって います。桂村の場合は「㊥と二、の要件が該当し、過疎地域と なっています。平成二年四月一日公示により平成士蚕三月三十 一日まで、特別措置として過疎地域活性化特別措置法が適用され、 地域の活性化を図り、住民福祉の向上、雇用の増大及び地域格差 の是正に、施策が詩じられます。村では、桂村第三次給食計画や 成の環境整備が必要かと思われ ます。自然の良きを加え、水戸 ・勝田市等への通勤にも便利な 種村のイメージアップを全村民 一丸となって、豊かな村づくり へと、高めていってはどうでし さつか。又、ここで比較する意味 で、参考に20歳を迎えた方々の アンケート(55年・63年)を摘載 します。どう思われますか? 新過疎法による振興計画を策定して、住民とともに住文化産業形 r l.昭利55年のアンケート (現在29オになっています) ○将来】参けで生落したいですか。 したい したくない 戒行さしだい 男性 62.5% 31▼彷% る.25% 女性 Ⅰ5% ア¢% 1S5移 琴女性の場合.1瞼ぐ闊榛からか将来村モ生】舌したい人が少 ないようです. 0桂村かち儲を墓想しますか。 男性 山.いなれ かそ.田,,札 緑.農業,7テラン 久(村),水,素朴さ、川,ふるさと,ほろモアゆく 乳 何もない所、築2の故∃輝 女性 ふるきと,円.自然i明るい集札 いちご体捷, 山奥の諾.麦わら歴払 青空.綱川.1菱弓給さ, 縁のジュ→タン,高由のおばlれ安らぎ.不徳 ○桂一打とかけて何とときますか.その・む住 ・-.・ た まだ 自分ととくその心‘ま まだこれから先がI珂痩だ 売れない1ま羊ととくその心は 傘まり知ちれてい争い 有名歌手ととくその心注 吉になると有名∃政争もやりてくる? 女獲 キャッチャーととくその心は どちらも恵シェ(捕手・保守)的です. お化疇三きしない人ととくその心は かざり気がなくそ素割 みそととくその心fiいなか(みそ)である。 中年男慄ととくその心はかつらかよくにあいます。 2.曜ほ軌悶年のアンケート ○一生,1壷ヒ住みたいですか! 男性 住みたい 6!拓 理由 静かでいい 怯みたくない 8丞% 理由 変通か不能・女性が少ない・何の魅力も 感じないから・一生寄らしていくための 良い職かない・横浜に住みたい・邁疎 地j瞼だから・おもLろくない 仕方がないかち怯む 8!拓 理由 長勇だから 女傑 鑑みたい 21% 理由 のどか‾ごいいかち鎗≠督するまで箆ふたい 駐みたくない 57% 理由 変通の緩か悪い・農業をやf)たくない・ いい思い出なL・田舎だから・もっとせ 間を見たい・こんなド】封令名はこめんだ 仕方がないから怯む 145賂 如 いくところがないから 無回答 8% ○今.樹に踵と思われもものは何ですか! 男性 TV埼・肺・デノ←-ト空港・電導・Fライブ スルー・ファミリ←レストラン・二L黄濁地・魅力 ああ村づくり・お金・人口・萄市化・美Lさ et広・1・・・・ 寄稿 議会活動報告 み クいのち満つる郷″ 福祉日本一の沢内村を視察して 桂村議会総務常任委員長 森 日 英 雄 村議会給源常任委員会では、年一回の委員会視察活動を利用し て、本年五月十1日関係課長と共に、岩手県沢内村を視察して参 りました。その中で特に医療福祉行政について、村民に報告する ものであります。 沢内村は奥羽山脈の懐ころで、 北上川の支流和賀川の上流で、 秋田県境に位置し、四方を連山 に囲まれた高原性盆地で、その 面積二八入平方キロメートル、 南北二八キロメートルに及ぶ大 小二五の集落が散在している人 口四、六〇〇名の村である。 産業の基幹は稲作であり、年 間水稲(秋田小町)五万五千俵 (六〇キロ入)の出荷を有し、二 三〇戸の農家が栽培するりんど 女一払 近代的愚考・もう少L充美した商店街・人口 老・高層ビル・若さ・繁華紆 ○鮒とかけて何ととく,そのこころ墟 女性 建材とかけで-私自身- そのこころは いまいち取り紡がをい 静かな詞-そのここちは j拝轟かな憧村 ど田舎←そのこころは 自分の怯Aでる山奥 男性 4重科とかけて 一 赤ちゃん-そのこころは まだまだのぴる サリ「フ ▲・蚤のこころは 何もない 書幾三→ そのこころは おちこんな村やだ う二億円、いちご一億八千万円 の売上げを得ている。 更には、畜産・酪農・林業等を 中心とした第一次産業が主で、 純農村地帯である。 十一月中旬から四月中旬まで は二メートルから三メートルの 雪に閉ぎされた全国有数の豪雪 地帯で、かつて豪雪・貧困・多病 との闘いを強いられ、昭和三十 二年当時乳児の死亡率が千人当 り六〇人から七〇人にも上がっ た寒村を、当時としては画期的 な方法により除雪をして、交通 網の確保や耕地開発を通じて産 業基盤の整備と、国の改発に先 駆けて六〇オ以上の高齢者や乳 児の一〇〇パーセント保健診療 の実現、出稼ぎ対策等、充実し た医療福祉行政で、現在全国の モデル自治体となっているもの で、これまで惑の根源とされて いた雪を、資源として活用し、 利雪・克雪・和雪のキャッチフ レーズで村作りに役立てたり、 ICカード導入による住民の健 康管理をなし、乳児の死亡者ゼ ロの年が続き、七〇オ以上の人 口が全体の一九パーセント、六 十五オ以上が二十四パーセント にもかかわらず、健康度の極め て高い長寿社会を実現しており、 「あいさつは,家の和,人の和,世界の和」

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