広報かつら No.241 1990(平成2)年 4月
11/12

#広報かつら 4月号聾滋痍魂盛儀髄髄盛儀髄煤嬢閥懐戌僅髄髄儀穏麗儲磯儲藁球瑠璃撞捕縛簿 病は気からという文章におい て、心のありようが健康を左右 することはすでに述べたが、こ のことは何度でも考えるべきこ とである。 恥ずかしいと顔が赤くなり、 恐ろしいと胸がどきどきし、怒 れば頭に血がのぽるのは誰でも 知っている。このような喜怒哀 楽の感情が身体の生理を左右し、 しいては健康に影響を与えるこ とは、現代医学においてもスト レス学説で証明された。 いろいろ刺激が大脳皮質を介 して間脳に行き、それが脳下垂 体や自律神経中枢に影響する。 そしていろいろなホルモンの分 泌を催したり、交感神経や副交 感神経の緊張度を変化させる。 こうした変化は、心臓や胃など の内臓の機能だけでなく、免疫 機能にまで影響を与えるのだ。 常に明るく、朗らかで、美し い刺激を取り入れるようにしな ければならない理由はここにあ る。健康であることが幸福の条 件であるように言われているが、 沢山診療所医師菊 池 宏 典 ついて 逆説的に言えば、健康である ためには幸福である必要がある。 私たちは、どこかで意識の変 換をしなければならない。よく、 酒は百薬の長などと言われるが、 それは脳に影響を与え幸福感を もたらすと言う意味である。(薬 である以上、必要量をこえて飲 めば毒となり死ぬのは当然′) しかし、本当ならば人様の心で はない、自分の心なのだから自 分で心の持ち方を変えるのが望 ましい。 人類の師達は、いろいろな方 法を考えた。まず最初に言葉あ りきだ。つらく苦しくなるのは、 言葉から始まる。こまった。つ らい。恐ろしい。腹がたつ。そ んなことを言うから、本当にそ んな気になる。そういうときは 頚がよけいなことを考えないよ うにすればよい。ここに念仏の 意味がある。困る度にぎやあて いぎゃていでも、なむあみだぶ つでもなんでもよいが、なるべ く意味の解らない呪文をぶつぶ つやるのだ。くよくよ考えるよ r りはよほど知恵がでをだろう。 次に座禅などの瞑想法がある。 調身、詞息、詞心といわれるよ うに、まず姿勢を整え呼吸を整 えることにより、心を整えると いう方法である。座禅は安楽の 法門というから毎日これを行じ る人は幸福であろう。ただ禅病 といわれる幻覚や異常感覚が生 じる場合もあるので、最初は正 師につくのが望ましい。 正式な座禅でなくとも一日何 分間は静かに日を閉じて、ゆっ くりと腹式呼吸をし、昔の楽し かったことを思うだけでも健康 によいだろ、つ。 こうした瞑想法はそれ自体が 自律神経を安定化し、自然治癒 力を高めるのだが、生かされて いる自分に気付き、感謝と安ら ぎの感情をもたらしてくれるこ とのほうがより重要かも知れな. ヽ d LY 心の平和こそが私たちを病気 がちな生活から遠ざけてくれる のだから。 剰療諾欒麹撃顔顔転 水走りして白鳥の稔翔ちに 清水 仙星 停める僧に蕗化の一しきり 金長 渓舟 常にいざなはれ墓地一巡り 桐原 桂花 病む母に花見の疲れ言はぎりし 仲宮 瓶子 贈られて嬉し佗びしの肩布団 小林 岳想 学びゐる子らの帰省も間近なり 冬陽惜しみてふとん干しおく 渡辺千妙子 新しき注連縄の張らるる詞にて 小さき鳥居にはしやぐ幼は 線引 栄子 夕ぐれて川嶋り寂し鮭捕りの番 屋は人のかげすら見えず 杉山みち子 抱ける猫の毛の手ざわりの温か さ冬日ざしの中にしばし安らぐ 山形 式妙 何年に一度あるかや富士の山全 容見えてシャッターをきる 石井きぬ子 ′llヽ かつら文芸 はは 永き床に臥せたる義母を看取り たる嫁は最後の衣着せ替ふる 宮本ふみ江 残生は幾年あらん老い母のまろ き後姿胸に絡みいる 佐川 あや 焼かれたる我が弟の白き骨小さ き箱に溢れてこぼる 猪野 l江 紅き莫を枯木にからむ烏瓜霜月 の陽に鮮やかに映ふ 大森 久子 高原の牧場に群れて草を食む牛 の影長し傾ける陽に 高堀よしの 新しき歳迎えんと神棚の煤払ひ せり風のなき午後 桜井 肇 足早に人の住き交ふ師走街八十 あてど 路の我は当所なくゆく 小林 息之 以上文化協会文芸部会員作品

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です