広報かつら No.239 1990(平成2)年 2月
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韮(7)詫※広報かつら 2月号策謀減課業鴬詫※諾減※深紫濃紫鴬或課業耗※曇雑業※黙読就業詫韮韮就 東洋医学の時代 明治維新までは、医学の中心 はいわゆる漢方と呼ばれるもの であったが、明治新政府は西洋 医学のみを正式な医学として認 め、漢方医は医者にあらずとし て阻害し続けたのであった。 また、第二次世界大戦で日本 が負けたとき、マッカーサⅠは それまで残っていた漢方医や鍼 灸師を一掃しょうとした。 しかし、現在の状況はどうで あろうか。大多数の大学病院で は漢方薬を使用し、癌センター においてさ、え、抗癌剤との併用 がなされている。 このことには二つの意味があ る。一つめは、理由は解らなか ったが、漢方や鍼灸は確かに効 くからである。 抗生物質と呼ばれる病原菌を めんちょう 殺す薬ができる前、面庁と呼ば れる化膿性の疾患で命を落とす ごうこく 人が大勢いたが、合谷というつ ばに灸をすえることにより何人 健康について(九) 沢山診療所医師 菊池 宏典 もの人が助かった。最近になっ て鍼や灸は、免疫機能を高める ことが解ってきたのだが、それ ならば治って当然であったのだ。 また、鍼麻酔からの研究で、 われわれの脳において麻薬様物 質が作られることも発見された。 鍼により痛みがとれる理由もそ のことに関連があるのだ。 二つ日には、西洋医学の治療 が偏った方向にきていたという ことがあげられる。 なぜ病が治せるかということ ▲ は大問題であるのでここでは触 れないが、治療する側からいえ ば、治療法は二つしかない。そ ふせいきょじで れは扶正面邪と呼ばれるもので ある。要するに体の免疫機能な どを高め、自然治癒力を高める か、病原を排除するかのどちら かである。 西洋医学の最大の武器である 抗生物質は、病邪である病原菌 きょとや を直接破壊する蔭邪の最たるも のといえる。 しかし感染症が減少し、疾病 構造が変わってきた現代におい て、生体機能を調節し、自然治 癒力を高めるということが重要 になってきた。 実は、自然の生薬の中には、 こうした生理活性物質が数多く 含まれているのである。 おうぎ 例えば、貴著という生薬は扶 スで精神的に不安定になってい さい二はんげ る人には、柴胡や半夏、しそな ヽ∴.し・1 どがよい。冷える人には細辛、 Lなもん 桂枝、しようが等を含んだ生薬 。 がよい おそらく将来は、西洋医学と 東洋医学の融合がより進み、数 百年後には医学は一つになるの ではなかろうか。そうすれば一 人ひとりの体質にあった、より きめの細かい医療ができるよう になるのだろう。 正の作用が強く、免疫機能を高 めるので風邪を引き易い人や疲こ れ易い人にむいている。胃腸が 弱くて元気のない人には、朝鮮二 」くり上う 人参や萩苓等がよいし、ストレ 枯れてなほ芭薫騒がす日日の風 全長 渓夫 天地の凍てつくし鴨眠るのみ 桐原 肇 凍て鶴や日のととかぎる寺の庭 仲宮 亀次 行く秋を惜しむ心もありて旅 小林 忠之 広木葉津乃 マイク手に持ては職業の貌とな る幼さ残れるバスのガイドは 渡辺千妙子 クッキーの口当り良ければ食む 吾を肥りすぎるとたしなむよ娘 ま 綿引 栄子 旅にあれば遠く置ききし夫を恋 ひ土産にせんと夫婦箸買う 山形 式妙 旅をゆくみちのくは黄金の穂の あらが つづく減反政策に抗ふごとく 宮本ふみ江 刈りしより幾日を経らむ土手の 草伸びて名知らぬ小さき花咲く る 母 幼 な き れ 吾 ど 子 せ の ん 性差す に 〈こ け も ふ な あ し ふ 一 かづら文芸 途な 「 杉山みち子 脱穀の終はれる育のひとときを 肩揉みくるる教師の吾息は 佐川 あや バス走る路傍にそよぐ萱の穂は 日増しに色槌せ秋深みゆく 桜井 肇 後の世に伐る人誰か知らねども と言いつつ老人は杉の枝打つ 高堀よしの 紅衣ぬぎゆくごとし花水木一葉 またl築地を染めゆきぬ 大森 久子 刈取りの終りて袋詰の粗見つつ 明日出来る新穀を思ふ 石井きぬ子 住み込みの息子に会はむとぞ夜 の道を車走らす夫と二人で 猪野一江 オホーツクの風吹く釧路湿原に めをと 通し棲むとふ夫婦鶴見し 小林 息之 以上文化協会文芸部会員作品 お詫び 一月号教育委兵長あいさつの 中で、上段後から三行目「仝搬 にわたり」は「全般にわたり」、二 段目の「成果を逐次…」は「成果 も遂次…」の誤りでした。又かつ ら文芸 広木葉津乃さんの短歌 「霜降る」は「霜降と」の誤りで した。お詫びして訂正いたしま彗

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