広報かつら No.230 1989(平成元)年 5月
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辞♯嘉滋養葉菜#我落黙諾黙諾繁深謀繁華繁韮霊算式茶業凝叢就業某誌ふるさとだより 5月号謀闇謂緋艶沫 村指定文化財 大山城址 長承元年(一一三二年)鈴木 五郎高郷という者が、阿波山西 方にある小高い丘「館山」(たて やま)に城を築いたといわれる。 正平十年(一三五五年)十代佐 竹義篤は、その子義窮を小場に、 宗義を石塚に、義孝を大山村に 封じた。義孝は地名をとって大 山氏を称した。大山氏はこの場 所に八代義景の暗まで居り、文 録四年(一五九五年)行方郡小 高城に移り、後に秋田へ主家と 共に移った。 頓化原音墳 頓化原古墳群の範囲は東西約 二〇〇m、南北約二四〇mに及 び、北方小学校建設時に大部分 が整地されてしまった。頓化擬 古墳群のうち前方後円墳は、北 方小学校の裏にある。全長三五 m、高さ∵五m周囲に堀をめ ぐらしたもので規模からいえば 大きいものではないが、死体を 納めた石室が完全に保在されて いる。撃一・六m、構二・八mの 石室は巨大な石材でかこまれ、 外部から石室に至る通路がある。
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