広報かつら No.219 1988(昭和63)年 6月
5/10

嘉嘉濁髄應ふるさとだより 6月号悪浣諾義荒業繁菜義光業鴛城潔嚢頚髄儲儲属領盛儀謀盛儀髄髄髄盛儀 凰尋萄金渥遮周 ノ ′ ( 粟野春慶塗 種村栗に伝わる粟野春慶塗は 延徳元年爪一四八九年)稲川山 城守源義明が苦心の結果発明し それをその子太郎左衛門昌息に 伝えたものである。義明が本村 周辺に群生している、ウルシ、 ヒノキと梅を利用して塗物を研 究し、以後改良されながら代々 受け継がれて来ました。 慶長七年(一六〇二年)弟義 為は、佐竹氏の国替えとともに 出羽の囲秋田へ移り、これが現 在の能代春慶塗の祖と言われて があります。粟野春慶塗は、こ れら二つより歴史が古い春慶塗 で、日本三春慶塗に数えられて います。 粟野春慶塗の特長は、ヒノキ 材に透明な漆を塗って、ヒノキ が本来持っている木目と色の美 しさを引き立たせ、さらに漆独 特の黄色の色つやを出すことに あります6その技術は現在にお いても、昔ながらの作薯工程で 行ゎれており、非常に貴重とさ れている。 昭和五十1年四月、国の記藤 作成等の措置を構ずべき無形文 化財として滑走されましたむ .ゝ■ ■-

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です