広報かつら No.192 1986(昭和61)年 3月
7/8
◎潮 試 ⑳ 菜(7)菜光広報かつら 3月号誤読試牒牒牒儲 青き月澄みわたりゐて亡き人の 野辺の送りをしめやかに照らす 大森 久子 山径の踏みしめられし落葉には 土に帰りし安らぎのあり 高堀よしの いじめられいじめて育つ子ら供 に過ぐればすべて生きる糧なり 猪野一江 ふだんは仲のいい家族でも、 たまには意見のくい違いなどで 気まずい関係になってしまうこ とがあります。改めて向かい合 って、正座しながら話し合うほ ど深刻な問題ではないし、そう かといって仲直りのきっかけも なかなか見つからない ー こんなとき、台所の空間を利・ すれば、ごく自然に会話が交 せることを、多くの方が体験 に知っていらっしゃるのでは もう一つの台所 生れたる孫鼻高く丸顔は債に似 たりと夫は喜ぶ 石井きぬ子 冬枯れの枝に射しゐる朝の陽に ひら 野鳥と見まがふ桐の一葉 杉山みち子 カラカラと乾きし普に枯葉鳴り ほ 杉の秀の上に新月かかる 綿引 栄子 数日を風邪に籠れば深々と落葉 積りぬ家のめぐりに 渡辺千妙子 病む吾に主治医の診断明かるく て戻りしカルテ清く目に入る ないでしょうか。 トン、トン、トン……と包丁 の音を立てながら「さっきはご 免ね」と切り出してみる。反対 に相手のほうが謝りたいときな どは、水を飲みにきたふりを装 いながら、こちらの背中越しに 「まだ怒ってるの」と声をかけ てくる - こんなやりとりが、 ごく自然に交わせるのです。 このように、台所の空間は、 厨房としての本来の役割のほか 河又 市衛 枯れ葦に鳴る風寂しさわさわと 色もなけれど冬の音する 大越 久子 いたむろ 板室のいで湯の郷は秋いまだ行 1ヽ、 かざる李に雪の降りたる 桜井 肇 玉葱の首を植え居る我の辺をレ モン色せる小さき蝶舞ふ 大森やよひ 食糧のあり余る世にアフリカの 飢餓を救えず何ぞ文明 小林 忠之 桂村文化協会文芸部会貞作品 女子栄養大学数授 食生態学 足立 己幸 に、家族の触れ合いの場として も機能することが多いのです。 台所仕事は子供の前で 子供も中学生から高校生くら いの年齢になると、自分の生活 のペースができるので、親子が 話し合う機会や顔を合わせる機 会が減ってくるものです。だか らといって何もしないで待って いるのでは、親子の触れ合いは ますます希薄になってしまうで しょ、つ。 そこで、特に仕事を持ってい たり、外出がちなお母さんには、 こんな提案をしたいのです。料 理の下準備や食事の後片づけな どの台所仕事は、できるだけ子 供の生活ペースに合わせてやる ようにしよう1と。 例えば、子供の帰宅時間が分 かっていれば、その時間を見計 らって片づけものをしたり、子 供が独りで食事をしているとき を選んで、料理の下準備を始め てみるのです。 子供に迎合しろとか、台所に いる時間をできるだけ長くしろ と言っているのではありません。 母と子にとって、台所がほどよ い 〝温かさ〞をもち、その上で 多様な行動の組み合わせができ る場所にしていこう、というこ となのです。 主婦はぬくもりある 雰囲気づくりを 暗くひっそりとした家庭に帰 ってくるよりも、明るく、ぬく もりのある台所で迎えられたほ うが、子供は家庭のありがたみ を強く感じるはずです。 食卓や台所を舞台にして ぬ くもりある雰囲気づくりを自然 に作り出す ー これも母親とし て、また主婦としての重要な仕 事の一つだと思うのですが、い かがでしょうか。 (談) 「あいさつは,笑顔をそえて心から」
元のページ