広報かつら No.189 1985(昭和60)年 12月
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茶業諾茶器黙諾諾※某試某減潔※儲瀾盛儀髄儲髄盛儀牒牒牒牒牒牒牒篠塚広報かつら12月号嵩試(2)某 桂村誕生30周年 . - 記念式典 、 ∵’・てこl\ニト、て こ.てl::\(、てl■T「ご‘、1、て \’/\∵- ∵∴、へ∴こ‾こ〔‾ 本日ここに、桂村誕生30周年 の記念式典を挙行するにあたり 御多忙中にもかかわらず、知事、 国会議員をはじめ多くの御来賓 並びに受彰者各位の御臨席をた まわり、心から感謝申し上げま す。表彰をお受けになる皆様方 の多年の御努力にたいしまして、 心からお礼を申し上げます。 本村は昭和三十年二月十一日 に旧坪村、岩船村、沢山村が合 併し桂村として誕生いたし三十 年を経ました。 西に阿武隈八清山塊の小高い 景観の山並みをのぞみ、東にえ んえん那珂川の流れ、朝な夕な にそのせせらぎの音さえ聞こえ、 北に関東の嵐山1』前山が那珂 去る十一月十六日出、桂村誕生三十周年記念式典が、中央公 民館大ホールに於いて、国・県会議員をはじめ、県知事(代理)、 隣接市町村長及び議長、褒賞者の出席のもと盛大に挙行されま した。 又、村民憲章、村の花・木・・烏の発表、人選者の表彰も行わ れました。 合併30周年を迎えて 廣木 香 長 村 桂 川の激流にそそり立ち、東南に 開けた肥沃な耕地と、きわめて 自然に恵まれた純農村としての 条件を備えております。従って 誕生後、新農村建設に関する諸 制度や農振法等の適用と活用を 図り、水戸・日立を中心とする いわゆる将来百万都市への.新鮮 なる農産物の供給地の役割を果 たすべく、諸条件の整備を着々 と進めてまいりました。時あた かも戦後の落ち着きを取り戻し、 我が国の志向は工業国への脱皮 を期するための諸政策、いわゆ る高度経済成長政策のあおりを もろに受け、農村人口の流出が 続き、ついに昭和五十五年第二 次の過疎指定を受けるに至った のであります。 その間は勿論、今日まで村民 各位のひたむきな御努力、先輩 各位のよきご指導、県御当局の 適切な御指導のもと財政難等、 幾多の困難を克服し指標である 「明るい・豊かな・緑の活力あ る村」を目指し、今日のような 平和な住みよい村として発展を 続けてまいりました。 即ち小中学校の整備と内容の 充実、中央公民館、体育館の建 設をはじめとする社会教育の充 実、簡易水道の全村普及、桂音 頭制定、全村的有線放送の設置 老人福祉センター、保育所の建 設、歯科診療所の開設、運動公 園の整備等福祉施設と健康づ〈 りの条件整備、実施率90%に及 ぶ水田の基盤整備、新農構等に 基づく近隣まれな畑地の基盤整 備、放牧場等和牛生産の増進、 目下、建設中の農村定住に基づ く農村広場と都市公園整備事業、 国県道、村道等の幹線道路の整 備と集落間道路の改良、企業の 誘致、百三十戸に及ぶ村営住宅 の建設、大桂大橋の架橋を含む 広域農道の新設等々、まさに急 速に変貌をとげつつあります。 本村は県都水戸市より20血の 位置にありながら、かつての高 度成長政策のあおりとはいえ過 疎的様相を呈した根本原因をつ らつら考えるとき南北に通じる 冨道一l一三号線の外、県道二路 線余(内一・路線は昭和五十六年 昇格つ′J同野-石塚線)という 幹線道路が極めて少ない、特に 東西にわたる幹線道路がないと いうことであります。 従って現在進行中の笠間市よ り那珂川に架橋をし大宮町に通 じる東西にわたる幹線道路であ る広域農道の完成こそ過疎脱却 の要であると信じます。今日ま でこの完成に精力的に努力をつ づけておりますが、御臨席を賜 わる国・県関係の諸先生各位に、 このことをあらためて御認識と 御理解をいただきたくお願い申 し上げます。 目下、行財政改革等自らなさ ねばならない諸問題があります。 これらには英断をもって望まね ばならないと同時に、国県の各 施策に呼応し、現在進められつ つある県北地方の振興等の波及 効果を効率よく受け止めるべく、 各種計画の見直し、広域農道の 早期完成、仮称、農村公園、都 市公園整備事業を核とした民間 資本によるいこいの場の建設等、 いわゆる 「リゾート・ヴレッジ 桂」のイメージを高め、グリー ンふるさと振興機構の活用等を 図り「明るい・豊かな∴活力あ る桂村」 の建設のため一層の努 力をいたすことを誓うものであ ります。 「あいさつは,家の和,人の和,世界の話」

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