広報かつら No.187 1985(昭和60)年 10月
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謹(7)文試広報かつら 相月号業※罪業某… 大森やよひ 秋海業一冷さして茶を汲みぬ身 をひきしめて水無月の朝 大森 久子 ちぎれ婁とりどりの色に染め上 げて夏の夕の空は明かるし 高堀よしの も 人として畏敬を持ちて君を思ふ 夫に恥づペきこと一つなく 猪野一江 斬らしき俳壇のとびら開くとき が紫 短う陽 歌た花 作 の 野性の動物は、食べることの ためにその一生を費やします。 獲物を探し、獲物をとらえ、そ れを食べるという行動は、自然 と子孫に伝わってい.きます。 私たちの祖先も、かつては毎 日の食料を手に入れるために労 働の大半を費やしてきました。 か慧鼻糞芸一 ・頗.・..無 ー食事づくりから遠ぎかった子供たちー 食事こそ家族のもずな 藍 ほ 日 毎 に 深 ま り て n_ ロ りも一ととせとなり そこでは、食料を生産したり調 理したりする場に、家族全員が 参加し、協力し合っていたので、 食べ物を口にするときの喜びも ひとしおだったことでしょう。 このような状況の中で、子供 たちは食べ物や食べ物をつくっ てくれる人に対して、自然と感 如来尊し光り輝く 石井きぬ子 からび初む陸稲に潤ひ満たしつ つスプリンクラー虹の橋架く 杉山みち子 四五尺もあるか茶縞のくちなわ の水の上青もなく進み行くなり 締引 栄子 散り敷きて夕べ踏まれしアカシ ヤの花まだ白し朝の道辺に 渡辺千妙子 看取るべき八十路の母を残し逝 きしとふ友の計を聞く心淋しも 山崎 憲徳 炎天に干したる漬梅香を放ち夏 の盛りを一入覚ゆ 河又 市衛 戸を繰れば朝日は樺に輝きてそ 女子栄養大学教授 ①食生態学 足 立 己 幸 謝の気持ちをもつようになって いました。 食事に無関心・無感動 でも不思議でない 一方、現代は、お金さえ払え ば、何でも好きな物を好きなだ け買って食べることができる時 の継卦を金色に染む 大地 久子 干されたる剥大根の乾きつつ布 引大根と変りゆくなり 桜井 肇 一村を沈めし哀話秘むるごと黒 部のダムを覆ふ山霧 小林 息之 桂村文化協会文芸部会員作品 代でもl訂の言い方をすれぼ、 食事づくりに参加しなくても食 べられるようになってしまった のです。 例えば、自動販売機に硬貨を 入れ、ボタンを押せばお好みの 飲料缶が出てきます。インスタ ント食品を買い置きしておけば、 いつでも好きな時に加熱するだ けで空腹を満たすことができま す。 このような食事づくりから遠 ざかってしまった社会環境の中 では、子供たちが食事に感謝す るどころか、食事に対して無関 心・無感動になったとしてもち っとも不思議ではないのです。 増えてきた 〝時間差食事″ 家族そろって食卓を囲み、同 じ献立を一緒に食べるという伝 統的な食事様式に代わって、最 近は、一人で食事をするいわゆ る〝孤食″や、家族がバラバラ に食べる〝時間差食事〞が増え てきました。子供たちが食事に 対して無関心・無感動なのは、 こうした食事の仕方にも原因が あるようです。 つまり、家族がそろって食事 をしなければ、親から子へと伝 えられるはずの食事の知識や、 食べ物に対する感謝の気持ちが 伝わらないままになってしまう からです。 子供に食べ物の大切さを教え、 感謝する気持ちを育てるために は、何より親が積極的に食事づ くりをすることです。そして、 できるだけ食事づくりの現場を 子供たちに見せることです。 その上で、世代の違った家族 が食卓を囲み、一家だんらんの ひとときをもつようになれば、 子供たちが食べ物の知識や調理 を知る機会も増え、食事に対す る考え方も変わってくるのでは ないでしょうか。
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