広報かつら No.172 1984(昭和59)年 9月
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一点報かつら ア月号若菜(■)雷 五月十五日、修学旅行。空は どんより曇っていたが、心め中 は、晴ればれとしていた。私た ちを乗せたパスは、東京へ向か った。 今二思い出きれるのほ、やは り、後発園遊園地であるさ とて も楽しかった。というよりも、 こわかったと言ってもいい位だ。 私は、先生にすすめられて、ブ ーメランに乗ることになった。 久美子きん、頼子きん、美智子 きん、其理きん、もちろん、先 生もだ。でも、たった二人だlす こわがって乗らない人がいた。 みんなで、 「乗ろうよ。こわくないから〕 と、すすめたが、どうしても乗 らをいと言い張った。私たちは、 係の人に券をわたした。カナャ ンと星の所にあなをあけた。も う乗らないわけにはいかない。 こわくないからなんて言ってた けれど彿泰当は芸働い。蛮撃 きんと盛った。足がふ魯む短。 ブーメラン 育毛 弥幸 友達應、明るくおしゃべりをし てい・たか、顔には、こわさがに じみ出て・桓た虐ガタンと安室ベ ルトが藩とされた。おりにとじ こめられた様だ。ぎゆうとにぎ りしめた。ヂリチリヂリと、ベ ルが鳴った。こわい、こわいと 思っているうちに、私たちは動 き出した。最初は、ゆっくりだ と思っていたのに、ものすごい スピード。下に下うたと患うと、 もう、一回転していた。こわく てこわくで、声も由ない。一回 転し終わると上にあがり止まっ た。久美子きんは、 「おろしてⅠ。もうなんでもい いから、早くおろしてーノ と叫んでいた。わち?て見てい たが、本当はこわくて、わらう ことしか出来なかったのガ。が、 次のしゅん聞、ビューンとバッ タ私儀キャー尊号-という叫 び萄療埼官長い時間だった小 こあか警た。除ヴながら、先生 に鳥ふな晋鳶句を奮った。だっ 電線暦岩くないって言ったん だ。・= 「先生のうそつき。こわくない と言ったけど⊥ と口々に言った。長い長い時間、 車恐ろしい藩。点呼蘭に残る 一ペイージだった様な気がする。 ′r\ ′l・ 「きついよノ みんな、ぎゆうぎゆうづめで エレベーターに乗った。ぐんぐ んと高く馨る碇うれ皆、愚まゎ こわいのでそばにいる美奈子ち ゃんに、 「美奈子ちゃん、ぅでにつかま っていいぃ と言ったら 「いいよ〕 と、育ったあ竃降りるまでつ かまっていまし晦ア 第一展望台に着くと、目の前 に外屈人がいました。アメリカ 人Y.ドイツ人、中国人、インド 人、ほかにもいろいろな人がい ました。もちろん日本人も=いま したが、まるで外国へ発たよう な気がして、すれちがう人に、 「ハヲJ と、言ってみたら、外国人の人 もわらいながら、 「ハロト〕 と、言ってくれまじた。ある二 人め外国人ぎ話をしました。そ ′.. t 遍 加藤木かおり 東京タワーで 国人は写真を アリ王者息 育ってい と、先生に聞くと、先生は、 「その前に、ト轟に行きたい 人は行ってきなさ長ヾ と言われ拒めで、トイレに行き 孝ヒ写を壷至二秦ちゃんとい ろJいろな詰をしていると、とな りにいる女の人が中国語を話し ているゎが軸こえてきました。 三森ちゃんに小きな声で、 「この人中国人だよ㌔ と育っ恵ら、三寮ちゃんは 「ニーハオい と、その人に育った。その人は 「ニーハオゾ と答えてくれたが、本当はシン ガポールの人のようでした。 帰る ったらまたたくさんの外国人が いました。私は.、東京タワーは まるで外国人のためにあるよう な気がしました。だって、日本 人より外国人のほうが多いから です。きっと、こ「れからもたく きんの外因入野東京タワーヘ観 光に奉ると思います。 ヨンさんでした ト“ の二人め名蘭はマ 「買拘物じて泰 リIきんとジ くれました。 「あいさつは,まずぽくからわたしから」

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