広報かつら No.167 1984(昭和59)年 2月
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圏 ⑳ 固 試射)※諜広報かつら 2月号試拭諾 有線放送自主番組予定表 (59.2月分) j、亨1ゝ妻.・・-.・::†t 九月目、今日は中国訪問最後 の大連で機関車工場を見学しま したが工場の設備は日本よりお くれています。その理由は機械 化をすると失業者が増えてしま うためだと思います。.機械化が 進んでいないため、生産性が低 く一日八台任しか生産出来ない と言っていました。中国の場合 男も女も働いていて進んでいる 人はいないそうです。 午後は、スポーツ交歓会です。 日本から柔道・剣道の模範演 技をし最後にバレーの試合を行 いましたが、男・女共善戦した が負けてしまいました。 日 曜 番 組 内 容 水 くらしのしおり 今月のくらしのメモ 2 木 私達の学校 北方′ト学校 3 金 みのりある農業 農協だより 4 土 有線アラカルト 話題あれこれ 5 日 6 月 村のアンテナ 役場,農協,学校の行事予定 7 火 みんなの広場 婦人会北部合同研修から 8 水 みんなの広場 第1回生慶大全開かれる 9 木 私達の学校 沢山小学校 10 金 マイクの散歩 高校受験に備えて 11 土 放送休み(建国記念日) 12 日 13 月 村のアンテナ 役場,農協.学校の行事予定 14 火 マイクの散歩 イチゴー掛こ生きて 15 水 みんなの広場 糖尿病とのたたかい 16 木 私達の学・枚 桂中学校 17 金 みのりある農業 今月の畜産 18 土 有線アラカルト 話題あれこれ 19 日 20 月 村のアンテナ. 役場,農協,学校の行事予定 21 火 マイクの散歩 駐在所だより 22 水 みんなの広場 日本昔話 23 木 私達の学校 桂助椎園 24 金 みのりある農業 稲作について 25 土 有線アラカルト 話窟あれこれ 28 火 みのりある農業 野菜の菅】里 29 水 村のアンテナ 1か月の村のできごと 一日の滞在だった大連ですが 町並のきれいさ、そして通訳が 声をつまらせながら、お別れの あいさつをし、最後に星影のワ ルツを歌ってくれた時は、とて も感激しました。これで中国訪 問全日程が終りましたが、私は 最後の見学地大連が一番よかっ た様な気がします。 又四日間の船の生活が始まり ました。帰りの船の中で思い出 に残っている事は船まつりとサ ヨナラパーティーです。船まつ りは各ブロック別に色々な出し 物をしたり、午後はスポーツデ ッキにて、姐別小運動会、男女 あべこべ仮装行列など一日がか パーティーでは、皆十二日間の りで行いました。又、サヨナラ 思い出を話し合っていたが、パ ーティⅠの終り頃には別れをお しんで肩を組み合って泣いてい る人が多く、終ってからも各キ ヤビンやホールにて夜おそくま 大学名 氏 名 赤 沢 峯島 瞳 ′北 方 田山 直樹 ノ下阿野沢 長岡小百合 高 久 平山 博一 孫 根 加藤木かおり 下 坪 秋山 望 で飲み和がら語り合っている人 が多かったです。 こうして十三日間の船旅が 終、え、午後一時頃出向えの人達 に見守もられて、私達の乗った 新さくら丸は、無事日立港へ着 きました。 私は十三日間と言う船旅でし たが、この青年の船に参加して 沢山の友達ができ、そして日本 と中国の違いについていろいろ 勉強できた事は、自分にとって 大きなプラスになりました。 ぜひこの青年の船を今後もず っと、続けてほしいと思います。 そして今後、この様な行事が あった時は村の青年も多数進ん で参加してほしいと思います。 今後、この船での経験を生か して、これから先青年会活動に 生かして行きたい。 ▼おめでた(十二二月分) 保 正典守光義政護 巳夫 一 一 伸 一 者 ノ北 方 菊地 恵美 一下阿野沢 長谷川裕美 上 野 大津沙耶香 北 方 横倉 恵 下阿野沢 高堀 裕子 岩 船 小林 正浩 赤 沢 川井 崇継 大学名 阿波山 下 野 上阿野沢 北 方 錫高野 上阿野沢 下 押 上 坪 阿波山 北 万 葉 葉 上 押 上 坪 阿波山 主 高 久 三村めぐみ 上 坪 堀口 里美 勝男 上阿野沢 佐々木花野 正博 ●お<やみ(十二二月分) 磨木 田崎 杉山 関 宮本 平塚 冨永 永山ふみ子 氏 高構 鯉渕 小池 虞木 小林 桐原 徳二 誠 喜一 秀雄 敬造 正雄 カネ 名 徹昭 直蕎 静 まち 義治 藤一 ふち 一郎 賀津雄 貢 主計 昭巳 正伸 政明 一‾‾八セセセセ六セセ八 八八七八七一年 五 一 六 三 六 四 四 三 二 二 四 ○ 三 四 七齢

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