広報かつら No.162 1983(昭和58)年 8月
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洪(5)繁鷲広報かつら 8月号黙諾詫減耗讃罪繁喜※※黙諾喜鴻※※拭減耗端野黙岩拭㌶※謀※操潅猿墨 ■ 期日五月十二・十三(木・金) 日桂村の四校が東京へ行った。 東京タワー、国立競技場、NH K放送センター、後楽園遊園地、 皇居、国会議事堂、羽田空港の 七カ所だった。 この中でl番楽しかったのは、 後楽園遊園地だった。遊園地に 着ぐとパスから降りて、入口の 所まで歩いて行った。団体券を 配ってもらい、みんないっせい に、いくつかのグループになっ て遊んだ。私達は、六人で行動 をとることになった。まず最初 に、バイキングに乗った。動き 始めて、おりるときにとてもへ んな感じがした。みんな「キヤ ー」▼と言っている。私はきよみ ち¶んにしがみついていた。や っと止まっておりてから今度は、 ジェットコースターにのった。 私は、沢山小の田口由紀子ちゃ んとのるためにいっしょになら んでいた。きよみちゃん達は、 こわくなったらしく、途中から 修学旅行の思い出 北方小6年 小 林 陽 子 -一ll、 おりてしまっノて\とうとう順番 が来てしまった。私は「ここま で釆たからにはのるしかない」 と思った。でも、のってみて気 分がすっきりした。それに全然 こわくもなかったむ ブーメラン は、見るからにこわそうだった。 沢山小の人達は「こしがぬける からやめといたほうがいいよノ と忠告してくれた。でも、のっ てみたかったので、由紀子ちゃ んといっしょにのったり由紀子 ちゃんと私は、「死にたくないよ うノと足をばたばたさせている うちにとうとう動きだしてしま った。はじめは、ゆっくりだっ たがだんだん速くなってきて、 下りのところになった。私はも 、う目をあけていられないのでぎ っちりHをつぶった。下るとき は、 バイキングの感じでふわっ とした。下りのところもおわり 一回転するところになった。私 にほさかきまになっているのが よくわかった。ブーメランがお わっておりてくるときも足がが くがくしていた。 あっという問の二時間辛が過 ぎてしまって集合時間になった 学生会館に着くとぐつたりとし てしまった。 後楽園遊園地はとてもつかれたく ・文 文作 作の のし くた ばわ の 出 ヽ「 トV 思 「晴れてよかったねノと言う 両親の芦に送られて、いよいよ待 ちに待った修学旅行へ出発した。 水戸と柏で休憩して、高速道 路を通り、約四時間くらいかか って、やっと東京へついた。 東京は辛が混雑していて、空 気はきたないし、家は、すき間 なくこみ合っている。桂村と比 べると、大ちがいだ。よくこん な所に住めるなあと思った。 東京タワーは、三百三十三メ ートル。約、二十万人以上の手 で造られたという。 展望台について、みんなでス タンプをおしたり、ぐるっと一 周して、東京の景色を見わたし た。 国立競技場で昼食をとり、N HK放送センターを見学した。 日本でただ一つの公共放送であ り、とてもわかりやすかった。 ついバスの中でねむってしま い、目を覚ました時には後楽園 遊園地に着いていた。 ( 楽しかった修学旅行 沢山小6年 乗り物がたくさんあって、何 を乗っていいかわからず、うろ うろしていた。 みんなといっしょに、時間の たつのも忘れ遊んだ。バイキン グが乗れなくて残念だった。 学生会館に着いた。風呂に入 るのが五分もなかったので、い そがしかった。 夕食はとてもおいしかった。 にぎやかに食べたからだと思う。 ねむったのは十二時だった。楽 しさも疲れに負け、いつの間に かねていた。 翌日は、あいにく雨だった。 皇居は写真だけとって、国会議 事堂を見学した。中には、じゆ うたんがしきつめられ、ここで 代議士達が、話し合って、国の 政治が行なわれているんだなあ と思った。 羽田では、ジャンボジェット 機の大きさに感動した。東京は、 政治・交通・文化の中心で勉強 になることが多く、見学したり、 遊んだり楽しい思い出が残って ほんとうによかった。

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