広報かつら No.156 1982(昭和57)年 10月
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嵩(5)嘉襲広報かつら 9月号獣獅描灘照闘捕脚蹴闇過脇別路球審闘闇規獣鵜㍑灘軒闘ほ 友情の輪広がる 県教育委員会主催による昭和57年茨城県「高1交生の船」は,.研修のメーンテーマを「道しるべ」と決.め,8月 17日から・8月21日までの4泊5日の研修に.県内302名の高校生が参加,本村からは,2名が参加した。 船内外を利用しての∃も同宿泊研修など集団生ラ舌を通じて,高校生相互の連帯感を高め,高校生の調和ある人同 形成を図り,たくまLく心豊かな青年を目孝旨すもので,今後の活動が期待されます。 今年は,全行程を通じて,毒急やかな航海に恵まれ,船内研修も充実,多くの1隠棲を得たようです。 僕は高校生の最後の夏休みに 一生涯忘れることのできない〝高 校生の船〞の参加とい、γすばら しい体験をしましたひ 県内の高校生、盲学校、聾学 校の生徒合わせて約三盲人はメ インテーマを道しるべと決め、 この研修に望みました。事前研 修では、どの生徒も不安と緊張 八月十七日より二十一日まで の五月間、私は「高校生の船」 に参加することが出来た。「さる ぴあ丸Lは大きくて、ゆったり とした気分で舶の生活を過すこ とが出来た。乗船するまでは、 とても不安であったが、わりと 快適であった。 最初に上陸したのは苫小牧。 第二百曜日は〝家庭の日″家族みんなで話し合いましよう 年 徳 3 芳 高粟 北 本 常 大 太田二高2年 上 野 会沢 紀子 でいっぱいでした。しかしそれ も一日もすると、皆仲のよい友 達となりました。 八月十七日、憧れの北海道へ と、我がさるぴあ丸は日立港を. 出港した。僕はこの時「皆、北 海道へ旅行に行くのではない。 自分自身を見つけに行くのだ。 そして大きくなって帰ってくる と思った。船上では牲で姓活動 を布い、この研修での自分の 目標などを話し合った。だいた いの人が 「出来る限り多くの友 達をつくる」という目標であっ みんなは、甲板に出て、「陸だ、 陸だ〕と歓声を上げていた。私 もほっとした。 私たちは、大倉山へと向かっ たゎ途中、左右に立ち並ぶ紙工 場の大壇突や、見渡す限りの平 野など、見る物すべてに、内地 七は異った雄大さを感じた。 大倉山ジャンプ競牧場では、 九十八歳になる大野先生から、 お話を聞いたむ お年には見えな い若さと、健康の持ち主で、お 話の内容も大きな視野に立って のとてもためになるものであっ たようだ。 次の朝、船は苫小牧に無事着 、 いた。いぎ北海道の地へ足を踏 み入れても、ここが北海道とい う気はあまりしなかった。しか しそれも、広い牧場を見たとた ん、やっトぽり北海道だと思った、 そこで地元の少年との話し合い をした。職業は酪農で、話しを 聞いてみると、この仕事を選ん だのは、ほとんどの人が自分か らで、その理由は「仕事はきつ いけれど人に使われず、大自然 とのんびり暮らせる」という。 た。 多和牧場は、想像以上に雄大 で、心まで広々とおおらかにな るような気がした。また、傲射 町の酪農青年たちとの交歓会に より、そこで働く人々を含め、 北海道のすばらしさを感じとる ことが出来た。 限ら・れた時間内で、札幌、釧 路、阿寒湖、函館山など、北海 道の一角を見て来たに過ぎない が、私は、この研修を通して、 北海道の様子を、自分の目で見 たり確かめたりすることが出来 たし、多くの友達と出会うこと が出来た。また、連帯感の大切 さなど、数多くのことを体得す ることが出来た。 私にとって、こ・の研修は、プ ラスになることばかりで、とて も有意義なものであったと思う。 私は、これからの生活に、研 修で得たことを生かし、大野先 生のように、豊かな、そしてお おらかな心で人々と接すること が出来るよう、努力Lたいと思 う0 時は過ぎ函館山を最後に北海道 に別れを告げた。 また船上では、船長や団長の 講話を聞いた。聾学校の生徒は 手話で聞いている。そして最後 の夜、皆歌い踊り、感激し泣い た人もいる。 四泊五日の研修は、幸い汲も なく酔う人が少なかった。そし て僕自身、笑いというものが絶 えることがなかった。それとい うのも関係者を始め、よき友達 である。ほんとうに有難う。

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