広報かつら No.153 1982(昭和57)年 5月
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組艶欝露諮謀肇髄煤儀儲瀾撞招 広報かつら 5月号耗試(8)掠 去る三月二十九日に桂高校生 会(会長吉成義久)が、青少年 育成茨城県民会議(会長大宮録 郎)より表彰されました。高校 生会活動をとおして自己の向上 と子ども会の指導に貢献されて 国民年金の保険料が4月から 5220円になりました。 これは、老齢年金などの年金 \ 年金コーナー 桂高校生会青少年団体として表彰 高校生会・はこのような了舌動を しています 金と国庫金(給付費の%)でま かなわれていますから、もし保 険料をこのまますえ置きますと 収支のバランスが保てなくなり、 将来一度に保険料を多く引上げ なくてはなりません。 国民年金制度を長期的に健全 に運営していくため、固からも 多額の負担金が支出されていま すが、保険料の段階的な引上が ′t いるのが認められたものです。 今後一層の活躍が期待されま す。 活躍する桂高校生会 ㊥㊥㊨㊥㊨㊨㊥ 高校時代を有意義にすごしたい 高校生よ、積極的に入会して下さ い。入会申込みは中央公民館へ が計上されており、一、六二二 億円程度増えています。 加入者の皆さん、年金は長い 老後生活の支えとして大事なも とリーこお のです。保険料は滞りなく納め ましょう。 ○便利で有利な前納制度を 国民年金の保険料は、四月に 一年分を前納しますと、次表の とおり大変お得です。 何と言っても天狗党の快挙は 筑波の挙兵であります。 この事件の立役者は、藤田東 湖の第凶子小四郎で、彼はかつ Lふしゑりつ て藩主徳川慶篤に随って、京都 に上り全国から集った志士達に も会い、長州藩士桂小五郎等と も話しあって、水戸の主張であ る「尊王穣夷」論に賛成であり 幕府の嬢夷決行訊郵㌢に憤激 していることを知り、幕府に決 意を促すために、今こそ棲夷の 旗上げをする時期であると思い 石岡、潮来に立寄って説得を重 ね、武田耕雲斉を首領に載こう と説いたが、耕雲斎は自重して 受けなかったので、町奉行田丸 稲之衛門を首領に仰いで、元治 元年(一八六四)三月二十七日 に筑波山に旗上げを決行し、四 劇叫げりき 方け赦せ飛ばして志士を募った。 \ -t-、 天狗騒動のあらまし 史談会長 大森 種村とのかかわり シリーズ(2) 越す人数を従えて、再び筑波山 に戻った。 一方、此より先に諸生派の市 川守は、四百もの兵をつれて江 戸に上り、藩主に強要して執政 となり、幕府と結んで天狗党を 押えようとして、幕府軍と共に 筑波勢を打つべく下妻に布陣した。 たかま、い ところが、七月七日に高道租 原の遭遇戟で勝って油断してい た幕府軍に、その翌日の夜筑波の 天狗勢は夜襲をかけて破り、下 -■と一】.′- 館、下妻附近の幕肝軍は悉く撤 退してしまったので、幕府軍は 桶 更に援軍を送るために、若年寄 あ差-たか 田沼意尊を総督として、諸軍を 総括した。 この間、市川守の行動にたい して水戸の天狗党は、大挙して 江戸に上り、藩主に強要して市 川等の職を罷免して、重役の交 替を果した。 その時、筑波勢に破れた市川 三左衛門等は、下妻の戦後の江 戸情勢を知り、四百数十名の兵 を率いて水戸に帰り、天狗勢を 探索して容疑者を逮捕し弾圧を 行いました。筑波勢も水戸を何 って、両者の衝突が必至となっ たのであります。(次号につづく) 注Ⅲ因循…ちゅうちょしている こと
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