広報かつら No.151 1982(昭和57)年 1月
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野葦苦祥欝欒野澤軍肇肇肇肇濁肇肇髄輝堪髄礫髄輝礫儒礫確髄犠灘儀儀潔広報かつら1月号撞泣(8)肇 おめでとう、一式重 民法第三条は「満二十歳ヲ以 テ成年トス」と定めており、法律 上、独立の社会人としての地位 が与えられます。一人前の大入 おめでとう掴 名 が 大 人 の 仲 聞 入 として、新しい〝門出〞の年です。 本村では、去る一月十五日成 人の日、午前10時より村中央公 民館において、指名の成人者を 迎、え、盛会に成人式典が挙行さ れた。成人者自らの手によって 成人式という言葉を耳にして も、正直のところ実感がない。 それは私自身が、あまりにも世 間知らずで甘えた生活をしてい たかにあると思う。今迄の二十 年間、何をするにも親の膏任と 高校の時に、成人式の手伝い をした事があるが、その当時「ま だまだ先の事Lと息っていた成 人式が、早いもので今年はもう 我々が迎える番になった。今ま で、成人式の事など全く考えて 進められ、社会人としての自覚 と責任への一層の認識がみなぎ っていた。 今年、成人者へは、ドゥダン 自覚七責任を 成人式を向えて 赤 沢 所 奈津枝 阿 波 山 広木 俊克 いう隠れみの下でやってきた。 ′ しかし、これからは誰からも 一人前として扱われる。何をす るにも自由ではあるが、それ故 に私達に課せられる社会的要求 が急に大きくなった様に思える。 特に「責任」に関しては、今迄 以上に大きくなり、「二十歳」と という言葉の響きの中に「責任」 とい、三日菜を強く感じると言つ ても決して過言ではない。 成人式とは、改めて自分を見 直す事の出来る区切りであると ′ 、 十 ツツジと成人式運営委貞が編集 した記念誌が贈られた。 式典終了後、記念撮影、記念植 樹をすませ、立食パーティ1に もみなかったが、段々月日が近 づくにつれ興味を持つようにな り、それと同時に成人になる期 待や不安も感じきせられるよう になった。 成人式というものほ、一般的 に考えると、法律で洒やタバコ が許され、選挙権が与、えられ、 そして回りから大人として扱わ れるという事等々である。しか しそれらの中でも、大人になる という事が、一番の目的ではな いだろうか。 入り、中学恩師や友達となつか し諸に花を咲かせていた。成人 者の皆さん、社会人として有意 義に人生を生きぬいてください。 思う。大人になる事とは、自分 の行動に自覚と責任を持つ事で あると考える。これから先、沢 山の困難に直面したり、岐路の 選択に迫られる事があるだろう8 けれども、どんな時でも自分を 見失う事なく責任のある行動を とってゆきたいと考えている。 また、いつでも「努力」と言う 言葉を忘れず、常に新鮮な気持 ちで物事に取り組めるようなそ んな人物でありたい。 今まで、約二十年間を過ごし てきていろいろな事があったが、 それも子供時代のよき思い出と なり、これからは、・大人として 人生が再スタートするのである。 これを期に、今までいろいろ とお世話になった両親をはじめ、 親戚の方々、そして友人達に感 謝したい。そLて、今回晴れて 大人の仲間入りをした以上、自 分なり宣自覚を持って、人生を 歩んで行きたい。

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