広報かつら No.151 1982(昭和57)年 1月
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固 ◎冊郡ほ 句帳月に朔つ大白鳥を見てあかず 嵩 ◎ 溌0㊥従軍広報かつら1月号無茶黙諾獲※諌曇 新年お年玉クイズご応募あり がとうございました。 正解は、「変電所」でした。応 つ 高須 あさ ・まぶた かも 浮寝鴨ふたたび閉ぢし瞼かな 冨田ひで子 むつ いま着きしばかりの鴨の早睦む 関根 茂子 使おうという趣旨で今年も桂村 婦人会では愛の一円玉募金運動 を実施しました。 この運動は、茨城県共同募金 有線放送自主番組予定 (2月分) はい/. 有線放送です 日 曜 番 組 内’ 客 月 村のアンテナ 一週間の行事予定 2 火 マイクの散歩 有線回覧板 3 水 くらしのしおり 今月のくらLのメモ 4 木 わたしたちの学校 北方小学校 5 金 みのりある農業 農作業のメモ 6 土 話題あれこれ 電波は結ぶ 7 H 8 月 村のアンテナ 一週間の行事予定 9 火 マイクの散歩 日 本 昔 話 10 水 みんなの広場 福祉だより 11 木 建国記念 日 12 金 みのりある農菓 農協だよリ 13 土 話題あれこれ 電波は結ぶ 14 日 15 月 村のアンテナ 一週間の行事予定 16 火 マイクの散歩 私の自叙伝 ユ7 水 みんなの広場 杜中立志式の模様 18 木 わたしたちの学校 岩船小学校 19 金 みのりある農業 土壌線虫と病害防除 20 土 話題あれこれ 話題あれこれ 21 日 22 月 村のアンテナ 一週間の行事予定 23 火 マイクの散歩 寒さにむかっての健康管理 24 水 みんなの広場 駐在所だより 25 木 わたしたちの学校 沢山小学校 26 金 村のアンテナ 一ケ月の村のできごと 27 土 話題あれこれ 電波は結ぶ 28 日 さみ あるときは淋しさに負け鴨場け り 加藤てる子 はいろ 羽色まだ整はずして子白鳥 加藤木 能 あま 天かけて来し白鳥に小さき沼 小林 忠之 みね 重なれる嶺をはるかに鴨浮寝 青柳 京子 ゆ・つかも 夕鴨の群れゐて沼のせまきほど 加藤木みさを 募稔数一五六通、うち正解一二 五でした。三一適の方々は、応募 要領(住所・氏名・年令・せ帯 主氏名・回線番号・4日の消印 など) の不備の方々でした。 放送は、よく注意して聞きた 会が主唱し、今月で第二十二回 をかぞえています。 その結果、桂村では稔額三四、 九四一円が集まり、募金会へ届 みお 白鳥のゆるやかに水尾ゆるやか 樫村 よの 暗く鴨に沼凍る日も近からん 青柳 貞子 あんど 白鳥の来てゐて安堵そばう 仲宮 瓶子 みなぞこくもつ 水底の雲突つきって鴨の列 宇野 英一 ぬま▲もnノ 招守の言葉白鳥にも及び 桐原 桂花 いものですね。 当選者は、次の10名の方です∩ 青柳貞子、大津畢二、入野友子 高羽宣市、.小林光江、大畠宗夫 小林菊江、船橋みよ子、広木昇 加藤木道之 (敬称を略します。) けました。 婦人会の役貞の皆恨 変ご苦 労様でした。 戦後三十六年が経過し、現在 平和な社会生活が続けられてお りますが、戦時中、国外で苦労 され止むを得ない事情でとりの こされ、現地で生活される同胞 達が\落ちつきを取り戻して その後帰国されている状況が時 々報道されておりましたが、本 村にも昨年の七月六日から十二 月一〇日までの半年間帰国され た方がありました。 その人は、下町の君島秀夫さ めいおい んの姪・甥にあたる方で、姉の ち・んとしき 陳淑嬉さんは、旧満州国領の熟 河省承徳市に住み、現在小児科 ▼ち・ん、むりよーし 医として、また弟の陳森吉さん は吉林省四平市の化学工場の 研究所に勤めそれぞれ元気にご 活躍している姿に接しました。 お二人は、成長期に父母と死 別きれ、孤独の悲しみ、苦しみ の日々を過されましたが、結婚 し愛情に支えられ立ち直ったと のことでした。 帰国の印象は、親族の方始め 大変親切にしていただいて、感 日田)-れこれ ‥ 話題がありましたら、広報係(竺〓〓一有線三〇七- ○大) へお知らせください。 *編集室から/各地区や各種団体、 激しておりますと喜んでおりま した。また、折角の帰国なので 見物というよりは、むしろ自分 達に関係する仕事について、す. こしでも勉強してゆきたいとも 話していました。 日本に親威があることがわか たよみ.よ り、便り、身寄りのありがたさ を知り心づよいと話されまし▲た。 今後も、日本と中国の親善関 係が続けられることを望みたい ものです。 学校などでの行事、
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