広報かつら No.151 1982(昭和57)年 1月
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薄丼※業凝軍耗彙哉髄髄髄髄髄髄髄慄懐慄髄採塚儒儀儲儲儲儲瀾瑠璃浦揺広報かつら1月号罪業qゆ潔 延命淵の大亀 その頃の那珂川は、三美から 小野の坂下近くを流れていまし た。こちら側は広い水田や桑畑 やくぬぎ林などで、阿波山の崖 下には大きな沼がありました。 沼の周囲には、いろいろの辛 が一面に生い茂っていて容易に 近づくこともできませんご厘の 上からそっと水面をのぞくと、 水は・静かに青く澄んで、深さは .いくらあるかわかりません。 村の人々は、ここを「青空」 と呼んでいました。 ある年の春、川の向こうの村 のおじいさんが、阿波山で買物 をしての帰りに、崖の上を通り ∵」汁紆・人 ました。すると崖下の水際に、 いつもは見えない大きな岩が見 えるのです。 不思議に思ってよく見ると、 岩と見えたのは大きな亀で、暖 かい春の陽ざしを浴びて昼雇を していたのです。 おじいさんは、腰をぬかさん ばかりに驚きましたが、やっと のことに渡船場まで逃げてかえ り、船頭さんにその事を話しま した。 そして、おそるおそるふたり して行って見ましたが、もうそ の時には、亀の姿はなく、青い 青い水のおもてには、静かなさ ざなみが立っていたということ です。 瀞

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