広報かつら No.144 1981(昭和56)年 3月
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嘉(7)#誠広粗かつら2・8月号莱紘※拭※就業罪業業苦嘉※嘉讃誰某墨罵認諾※喜謀岩罪#※※課業光荘 去る十月一日、全国いっせい に行われた国勢調査の結果、本 村の人口は六八五〇人になりま した。 前回の昭和五十年の六八九 六人にくらべて、実数で四十 六人、率にして△○、七%の減 少となりました。前回の△四・ 五%にくらペ減少もやや横ばい に推移しております。 また、男女別についてみます と、男子三、二九三人、女子三、 五五七人となっており、前回に 比べ男子八人の増、女子は五十 四人の減少となっています。こ の結果本村における性比(女一 〇〇に対する男の割合)は、九十 二となり前回の九十を二ポイン ト上回りました。世帯数.は、二 七八四世帯となり、前回の一、 七五〇世帯よりも三四世帯(一・ 昭和55年国勢■査大学別 世帯数及び人口 上 汁 197 下 i下 葉 篠 根 北 方 高 久 錫高野 岩 船 高 根 阿波山 下阿野沢 上阿野沢 赤 沢 153 一国勢調査速報から- 九%) の増加となりました。こ の結果、本村においても、世帯 の細分化と核家族化の傾向がみ られます。 参考(茨城県の人口) 二、五五七、九〇三人 (前回比二一五、七〇五人 (九二一%増) 男一、二七二、三九〇人 女一、二八五、五二二人 世帯数 六九二、四八〇戸 (前回比一〇二、三四九世帯) (一七・三%増) 日本の人口一一七百万人 (世界第七位) 世界の人口四、四二五首万人 なお、これらの数値は地方集 計による概数であり、確定数は 後日稔理府統計局から公表され ます。 ◎桂村阿波山 住谷樅卸さん 金十万円 ◎種村乗 広木はつのさん 昭和萬葉集 二十巻 ◎桂村高根 大越兼次さん 直刀一振(古墳時代) 以上の方々から寄付がありま したのでご紹介いたします。 延長二二五m 巾員三m 勝村工務店 工費二三五万円 (今瀬信男さん横より石井久雄 さん前へ通じる道路) ◎上・下阿野沢界魚 道路1067号1068号及び∽号繰 延長三七〇m 巾貝二・五m 長谷川建材 工費二五二万円 (国道東側住谷誠三さん前より 旧茨鉄線まで及び国道西側小林 健之介さん前より関節男さん裏 まで) 工凄中ご迷惑をおかけします がご協力願います。 ◎上・下坪界線村道88号線 一月道路改良工事 ありがとう ございました。 入札・落札 『二十才まで』 阿波山 佐川 仁 親父さんとおじいちゃんはナ イター中継で、王選手がホーム ランを打ったころ、おばあちゃ んは夕げのかたづけを終えたと き、僕の誕生を知った。 三才、東京オリンピックが開 かれ、おとうさんも参加-、ラ イン引きで活躍。 「小さなおててを組み合わせ…・」 五オ、ハリー幼稚園に入園する。 ピッカビカの一年生、黒いラ ンドセル背負ってか、背負われ てか小学校の門をくぐる。初日 から名札を忘れ、前途多難。一 枚のスナップが物語る。 三年生になって、クラス委員 に選ばれる。「どうしようノ 月日は流れ、小学校の卒業式、 担任の先生の、あの最後の涙が 今も目の前に浮ぶ。 黒い学生服と、一本の白線が 眩しい、中学一年生。このころ から、父、佐川先生を意識する。 バラ色の中学時代。 まるで、きのうのように感じ る中学校の卒業式¢トいつの間に か白線が三本になっていた。こ の帽子とも、今日でお別れむ「泳 げ′タイヤキ君」が大ヒットし て替え歌が作られた。 「この高校より、あっちの高 校がよかったノバッとしなかっ た高校の入学式。中学時代の坊 主頭よさよなら。流行語になっ た「シオンぼけ」最後まで付き まとっていた。痛かった盲腸も きれいさっぱりなくなった。 讃美歌に送られての卒業式、 振り返ると、何をするにも聖書 と讃美歌が一緒だった。 家族の淡い期待、あっさり裏 切って、浪人生活。何かの足し にはなるだろう。 やっと某薬科大学に入れたが ちょっぴり寂しい下宿生活。大 きな変化だった。 そして現在、ハッキリと前を 見つめる日と、何事にも動じな いだけの休力が欲しい。繊細に かつ、大担に生きたい。納得の いく人生を送りたい。愛を信じ て、夢を求めて、ささやかな、 果てしない人生を歩き続けたい。 私は、もう二十オ。

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