広報かつら No.144 1981(昭和56)年 3月
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試#※※墨字岩井壷罪業黙許諜報詫試論搭発祥謀議拭壷鑑拭業嵩罵墨減耗広報かつら2・3月号宰#(6)謀 去る一月十五日は「成人の日」 本年の成人者は盲四十名。桂村 中央公民館において、百一名の 成人者を迎、え、盛大に成人式典 が挙行されました。成人者自ら の手によって進められ、社会人 を代表して、 としての自覚と責任へのより一 層の認識がみなぎっていた。 広木村長はじめ、広木議長、 大越教育委兵長より、晴れの門 出を祝福する祝辞をいただき、 また恩師を代表し、高瀬宗一先 生は「二十一世紀をささえる人 間になってほしいとの励まし」 のことばがありました。成人者 山崎賢治くんが謝 辞を述べさらに、 成人者全員に記念 樹コアシと、成人 式運営委員が編集 した記念誌が贈ら れました。 式典終了後、記 念撮影、記念植樹 (今年はカンツバ キ)をすませ、立 食懇談に入り、中 学恩師や友達とな つかしい話に花を 咲かせていました。 成人者の皆さん いつまでも自分を 見失うことなく、 社会人としての長 い人生を有意義に 生きぬいてくださ ヽ O L▼ 『成人を迎えて』 栗 飯村由紀恵 成人というと、式で着飾るこ とが重視され、呉服屋や洋服屋 の商売戦線だといわれがちで、 簡素化や成人の本来の意味が叫 ばれています。 わたし自身は、成人式という 機会に、あまり実感の湧かない 二十歳の思いを考えてみたり、 普段と違う自分を演出して、晴 れがましい気持ちになったり 自分を見つめ直すことができま した。 成人-おとなになることは、 自分なりに、的確な判断力をも つ人間になることだと考えまし た。現代の情報社会の中に、飛 び交うあいまいな価値感の中か ら、自分はどれをよいとし、選 択していくのか、難しいことだ と思いせす。そして、これから は社会集団のいろいろな立場に 立つわけですから、場に応じた 判断と責任ある行動が要求され ′ ヽ ると思います。 そう考えていても、ただ何と なく毎日を送っていくだけで、 それでもおとなになってしまう のでしょう。年を経るたびに忘 れかけていた〝努力〞という言 葉が、改めて新鮮に感じられま す。家族や周囲の方々の期待に 応えるためにも、認められるお となになるよう努力したいと思 います。 わたしは、ちょうど、二十歳 という年令とともに、社会人と して旅出ちます。現実の社会に は、多くの困難が待ち受けてい るでしょう。困難は、おとなへ の栄養分だと心がけ、前向きに 進んでゆきたいと思います。 最後になりましたが、家族を はじめ、わたしを守り育ててく れた種村に、心から感謝します。 これからのご指導もよろしくお 願いいたします。
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