広報かつら No.142 1980(昭和55)年 12月
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詳(7)詳祥広報かつら ほ月号蓄♯#嘉滋養義認霊葦試薬羊茶業罪業#謀議#峯鴬#薬♯※嘉嘉誌嘉嘉群 ∵∵■再て一∴与}叫. F茨城県青年の船Jは,本県青年団体連盟の青年団体の リーダー397名を乗せて,10月1日から14日まで2週間にわ たり,上海・天津・北京などを訪問して,青年ぎ舌動の研修, 現地青年との交流・交歓,各種施設の視察,見学など,国 内ではできない貴重な体験をしてきました。 本村からは,鯉蜜剃栄→君(下f下・農業)と鈴木純子さん (阿波山・音楽教室講師)が参加し二人とも,この二週間 に受けた印象はかなり強烈だったようです。そこで・この 至 放で特に印象に残ったこと,学んだことについて感想を書 巌 いてい尤=だきました 私たちの、生活内容を書 いてみます。第一日日、オ リエンテーション、「係別活動L は、一人一人、全長が、九種目 饅渕栄一さん 「青年の船」」四日間の 研修を終えた今思う事は、 参加して良かった、という 事だけです。すべての日程 を終えて東京港で船を降り た時、何とも言えぬ充実感 でいっぱいでした。九日間 の船上生活と、五日間の中 十月一叶お午、1ふれあい から創造へ」 のテーマのも と、鹿島港から、団員三盲九 十七人を乗せた1さんふら わあ7」は、中国へ向け、 出港した。 の中の一つを、任務すること、 午後八時から、船長主催のカク テルパーティー。二日目、午前 六時起床、船の中は、毎日六時 起床であった。六時半から朝の つどいも同じである。 午前中、講話、デッキにて昼食、 青い海と、太陽が、まぶしかっ た。午後一庵から四暗までレク リエーション、六時から夕食、 夕食は、正装、テーブルマナー を身につけるのにとてもよかっ た。三日目、クラブ活動、趣味、 特技を生かす学習の場、15のク ラブがあった。四日目、いよいよ 国、どちらも素晴しいものでした。 五日間しかいられなかった中 国、広い中国のほんの一部分し か見られませんでしたが、観光 目的の旅行とは違った何かがあ った様に思います。上海捲、天 津港での熱烈歓迎、船上交歓会、 天津でのスポーツ交歓会等、中 国側の暖かい心ざしが感じられ ました。また、幼稚園や少年宮 で出合った子どもたちはみんな 明るく、いろんな芸を披露して くれましたが、その高度さに驚 いたものでした。今の中国は二 十〜三十年前の日本と同じよう だ、と言われています。でも、 中軋ム去呂、日中青年船 上交歓会、中国30名出席、楽しか った。午後十時、上海出航、天津へ。 六日目、午後八時〜十時まで、自 主活動、毎日ある。その中で、の ど自慢、この自主活動は、プライ ベートな時間でなく参加者一人 一人が自分の思考、行動、仲間と の協調など、もっとも個性を発 揮できた時間。又、自分で気づか なかった長所、短所を、仲間を通 して、もう一度見つめ直すこと が出来たと思う。八日目、天津 港。十呂、天津港出航、影、 サイチェン 再見。仝月デッキに出て、中国大 私はその頃の日本がどうだった のか知りませんので、そんな風 には見られません。ただ、これ から大きく伸びて行く国、とい うのは強く感じました。 残り九日間の船上生活、かな りきびしい日程でした。朝六時 起床に始まり、夜十時消燈まで、 ぴっしりのスケジュールです。 初めの何日かはみんな頑張って 出てい美様ですが、現地での疲 れやらが出てか、だんだんと出 て釆ない人が増え始めました。 私は、と言いますと、「疲れてい るのは誰も同じ」と自分に言い 聞かせ、全部出席し、そのおか 陸と別れを惜しんだ。十一日目、 青年団体活動紹介、クラブ活動、 フィーリングカップルなど船の 中の活動がはじまる。十二日目、 洋上祭、桂村公民館のホールぐ らいの中に約400名の団員、狭い 中で、色々なゲームをした。十 三日日サヨナラパーティし全 員酒を飲み多くの友と思い出を 語りあった。十四日目、日立港に 入るはずだったが台風のため束京 晴海にて下船、涙が出てくる。 今度の青年の船の参加は僕にとっ て一生の思い出になった。今後仕 事やその他生活に役立てたい。 げで、たくさんの事を得る事が 出来ました。いろんな人からい ろんな話を聞けた、というのが この船に参加しての一番の収穫 だと思っています。 十四日間の感激を文字にする のは難しい事です。言葉では言 い表せない感激を受けて帰って 釆ました。こんな思いを、でき るだけ多くの人に味わってもら いたい、というのが実感です。 三年後あたり、また「青年の船」 は出航すると思います。たくさ んの人に参加してほしいと思い ます。そして、できれば、団体 活動を多く体験した上で ー。 」■
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