広報かつら No.142 1980(昭和55)年 12月
10/10

装薬掠#※裟嘉※詳謀議詫託※簿無法賽※詫詫光義※嘉※詳※署嘉我減耗広報かつら12月号新訂㈹試 元就に 十キロ完歩 村比歩く会11/3 澄みきった秋空の下、十一月 三日妄化の日)恒例の第十二 回村民歩く会が開催されました。 今年は、前年とコースも変わ り、桂役場-桂運動公園を往復 するコース十キロで行なわれま した。 午前八時三十分、運動服に身 を包んだ老若男女二五〇名が役 場前に集合、村長から歩く会に 参加し体力づくりと連帯感を深 めようとあいさつがあり、全月 そろって元気に出発。桂運動公 園では、つめたい風が吹くなか 釣を楽しむもの、高校生会代表 の蒋導によるレクリエーション などで、おもいおもいの楽しい 一日をすごしました。 県民フェスティバル人 仝に輪投げ、ママさんバ レーボール出場11/9 ●輪投げ 五年連続一位成る ●ママさんバレーボール 第6プロッタで初優勝飾る 『初優勝に思う』 ママさんバレーボール 桂選抜チーム代表 小野崎 尚子 メンバーが揃って練習出来る ことも稀で、苦しいこともあっ たが、一位になれてとにかく嬉 しい。チームワークの勝利と思 います。この書こび感激は当事 者でなければ味わえないと思い ます。これもコーチを始め村 当局、家族の理解と協力の賜と 感謝いたします。今後更に精進 したいと一同張り切っていますβ 耶12回お父さんソフト人へ㌫≠ 性 恥 銅高野ナー予 した。 まず、最初は一勝する事を目 標にし組織づくりをしました。 その甲斐があって今回の秋の大 会ではベスト8に進出すること ができ今では楽しみながら体力 四年前の寒い 夜、広木栄一、 広木守両君と私 の三人で莱にも ソフトボールチ ームが出来ない ものかと相談し、 是非つくろうと 言うのが粟チー ムの誕生と同時 に大会への参加 でありました。 当時は人月確保 に大変苛労しま / づくりが出来ます。 年代の差で十歳以上も違う部 只と顔を合わせて、世間話等す る事が出来チームの親睦と協和 を深めると共に健康で文化的な 地域づくりに貢献することと、 勝つことよりも部員同志の和を 大切にしながら毎年春秋の大会 に参加し、一汗流した後での酒 を飲み交しながらの話合いが、 又格別でもあります。 現在、部員は十四名おりますが、 諸行事等量なり試合日に出てこら れる人月は、九名ないし十名と いつも少なく若い人達の三十歳 になるのが待遠しい現実です。 今後もコーチ、主将を中心に頑 張っていきたいと考えております。 節12M作指輔車球 尭教養 と き 十二月十四日九時開始 多数ご参加下さい。申込は役 場農政課皆川まで℡305101 ■費捲欝豪邸 那曇集 ダンス部では、毎週金曜日の夜、 七時半から十暗まで桂中央公民 館大ホールで楽しく練習してい ます。初心者むけ、ソシアルダン ス教室、会員が親切に指導いた します。あなたもぜひ参加して みて下きい。申込は直接会場へ \ l 阿波山 富永泰之介 阿波山 堀連 清正 阿波山 船橋 ちか 北 方 唐木一枝 下阿野沢 茂垣 きく (届出は七日以内に) 上孫 高 大 宇 土下根 久名 〃投稿″を おまちしております 広報かつらはみなさんのペー ジです。賓間、要望、意見なんで もけっこうです。(企画広報係へ) 有線放送電鼓の番号訂正 ◎高堀 通雄 二八〇〜〇一に ◎仲田 聴 二五二〜〇三に ◎工藤とし子 三五六〜一一に ▼おめでた(十、十一月分) 大字名 氏 名 保護者 下 印 斉藤 丈次 辰 雄 阿波山 加藤木清子 輝 阿波山 尾崎 香織 息 下 坪 斎藤 真輝 東 阿波山 小林麻衣子 修一 勇 北 方 秋山 正幸 阿波山 川田 理恵 英 二 (届出は十四日以内に) ●お<やみ(十、十一月分) 氏 名 阿久津すゑ 小林みさ子 宮本 ちよ 八五八六 八 八 六六年 ○ 九七五五 四 ○五1給 毎月第3日曜は家庭の日 ≠家族そろって話し合おう“

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です