広報かつら No.140 1980(昭和55)年 9月
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嘉藩課業濯描謹岩井壷盗掘箪窪謀議㌶諦鸞嘉襲謹告詫諾嵩撞彊岩音義広尊かつら 9月号嘉嘉0¢嘉 第一国ママさんソフトボール 赤沢チーム健勝 「初優勝に思う」 赤沢ママさんソフトボール部 主将 石崎文江 赤沢ママさんソフトチームほ 昨年、阿波山のママさんチーム が出来、練習をしているときき、 赤沢でもぜひチームを作ってみ ようと、みんなに声をかけたと ころ、十三人の返事が返って釆 ました。とにかくソフトボール の好きな人達の集まりです。 練習は、土曜日の夕方と、日曜 日になっていますが、他の日で 体力つくり第八回高齢者輪 投げ大会開催される9/6 錫高野四囲連続団体優勝 県大会の代表権獲得 ′′1\ ′′ もちょっと声をかければ家事、 仕事をやりくりして集まって釆 ます。拉初は、ポールの握り万 投げ方、バットグローブの使い 方、とにかく何にもわからない 私達に、熱心にコーチをしてく れた君嶋進さん、大畠庄さんは さぞかし大変だったろうと思い ます。 おかげ様で第一回ソフトボー ル大会に優勝出来ました。赤沢 チームは、チームワーク(常に 個人/\がポジショウを確実に 守り、ミスをすれば皆なでカバ ーし合い、励まし合う〉この事 は、どのチームにも負けないと 思っています。それが勝因の一 つとなってくれたのではないで しょうか。 結果は次のとおり 阿波山 12-11 農 協 赤 沢 16-6 バンビーズ 阿波山 6-5 フラワーズ 赤 沢 11-0 阿波山 足で部員を募っ ていたものでした。 部員十五名程で歩きだした野 球部は、部長に仲田武一氏、監 督に、当時営林署赤沢担当区に 勤務していた国安さんを据、え、 その年の秋の大会から参加しま したが、残念ながら初戦を飾る ことばできませんでした。 以来六年、当時のメンバーの 約半数近くが、職場の事情、家 庭の都合等で、野球部を離れて 行きました。が反面、新規の入 部もあり、現在では∵一十一名と 人数的には大柄なチームとなっ ています。 チームカラーほ『まとまりの 良さ』とでも言いまし享つか。 練習に試合に和気あいあいとし チームカラーは「まとまりの良さ」 赤沢野球部主将 大 畠 庄 六年前の暑い 日の夕方、石崎 秀夫君、君嶋進 君の二名の訪問 を受けたのが、 私の赤沢野球部 への参加と同時 に野球部そのも のの誕生でもあ りました。 先の二名が、 野球部発足のた めに一軒一軒、 た雰囲気は、当チームならでは のものと自負していますの 二十オ台、三十オ台、四十オ 台、各七名ずつという構成年齢 のバランスの良さが、そうさせ ているものと思います。 また、野球以外でも、例年の 盆おどγへの参加、又は昨年よ り葡めた敬老の日の『お年寄を 囲む集い』 への全面的な協力体 制を、短期間のうちに作り上げ る等地域の中へ向けても発揮さ せております。 野球の方の成績は、村大会に 於て準優勝が二度というだけで 未だ優勝の感激を味わっており ませんb \ (八月届出) ●お< や み 大字名 氏 名 年齢 上 坪 薗部勝夫 四五 北 方 小林三次 七三 下 群 小林アイ子 六五 八四 阿波山 清水つき (八月届出) 愛の献血にご協力 ありガとうございました 去る九月四日、桂村と城北ラ イオンズクラブの共催によって 実施した愛の献血はみなさん のあたたかいご厚情とご協力に より、一一九名の採血をいただ き厚くお礼申し上げます。 献血は万一に備えて、新鮮な 血を貯えておくもので、各戸に 一冊は必ず献血手帳をお持ちい ただきたく御協力をお頗いする ものですり ▼おめ でた 大学名 氏 名 保護者 佐川清人 栗林将美 人野智行 小林智佳 昌 美 加倉井誠.一郎 力 博 博 行

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