広報かつら No.135 1980(昭和55)年 4月
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ヽ 、b つ カ 報 広 第135号 昭和55年4月20日(8) ママさん奮闘 体力つくり㌢トボール 合同親善大会開かれる 陽春のもと、枝村運動公園にお いて、壮年ソフト・ママさんソフ トボール合同親善大会が去る四月 六日に開催されまLた。ママさん チームは初めての公式試合です。 お父さんチームと得点差はありま したが、全員健闘しました。また、 ママさんチームヘの声援は、大会 を一層盛りあげました。 試合の感想を全長棒江さんは、 次のように撰してくれました。 「私達のチームは、岩小ママさ ん12名で結成し、ほとんどの人が 始めてで、一時間位講義を受け、 練習も二時間程おとうさん達に教 わり、今回試合に臨んだわけです Bブロッ久の第一試人口、村会議員 さんチームと対戦し、延長戦にな り16村13で負けましたが本当に楽 しかった親善試合でした。何もわ からずほんとに幼稚な試合だった と思います。でも、一生懸命でし た。応援していただいたお父さん 達も、面白くてお腹の運動が出来 たと思います。 私達ママさんは、大空の下での スポーツは始めてで、もっと多く のチームが参加されます様に、ま た家族の方々の深い理解と御協力 を心より感謝しますノ 結果は次のとおり Aブロック 優 勝 教職員お父さん 準優勝 赤沢お父さん 決勝戦 教職員 615 赤 沢 Bフロック′ 優 勝 孫根お父さん 準優勝 上阿野沢お父さん 決勝戦 孫根 10-8 上阿野沢 したチームでした。 体教で五十一年度に実施したス ポーツ教室に、高根チームと共に 参加し、楽しみながら体力づくり が出来るソフトボールに身を引か れ勤労の合間に練習に励むように なりました。 勝つことよりも、部員の和を大 切にしながら毎年度の大会に望み ました。そのうちにチームワーク が整え、大会が開催されるたびに 優勝候補に上げられるようになり なから、勝つことを忘れたチーム になっていました。 しかし部員は、現在二十八名と 多く、若い部落内の後継者などは 三十オになるのが待遠しいという 位部落から親しまれるチームに成 スポーツを通して和を 下阿野沢ソフトボールチーム代表小田部博夫 毎日の勤労に精 進するかたわら余 暇を利用しながら 野球を実施し、部 員相互の鋭陸と融 和を深めるととも に、 な地域づくりに寄 与する送しい精神 力を養うことを目 的に三十オ以上の 方々を主体に下阿 野沢ソフトボール 部が誕生しました。 グローブも球も ない、まさに地下 足袋野球から出発 長しまLた・。 二十八名で二チームを舶成して おりますが、練習終了後の一杯も また、楽しみの一つです。 スポーツを通Lて、和を作り、 洒を傾けて親睦を作る下阿野沢チ ームです。 なんとな〈男ッポイ、パパさんソ フトボールチームに対し、この度 女十部が誕生Lて、練習にも熱が 入ります。 そんな中で、春の大会には、女 子部の手造りの弁当が差し入れさ れ、Aチームの声を大にした応接 で設立五年目でやっと優勝するこ とができました。今後も監督を中 心に目的を忘れず頑張ります。 l- 莱 高 久 岩 船 上阿野沢 錫高野 下 押 下 抒 高 根 大字名 氏 名 錫高野 小林 たけ 北 方 田崎 友紀 上 坪 高橋 竜一 錫高野 鯉渕 正弘 阿波山 加藤木恵理子 大字名 氏 名 保護者 第十四回ママさん バレーボール大会 三月二十三日 種村民体育館 0結果は次のとおり 優勝 阿波山チーム 準優勝 北方チーム 三位 上咋チーム ○決勝リーグ戦 阿波山 210 北 方 2-1 阿波山 2-0 ○お く や み ▽お め で た 小高 高 大 綿 小三 林 田 瀬 畠 引 林村 廣木友三郎 なつ まつ ふさ イト かね 末吉 菊毒 二二月届出) (三月届出) 上上北 f下 f下 方 孝 洋 造 紀 元 正 七 八 八 六 八 九 九 七 八 年 八 ○ 八 三 六 ○ 二六一 命
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