広報かつら No.134 1980(昭和55)年 3月
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、b つ 報 広 昭和55年3月20日(8) なごやかな雰囲気 の内にスキ1 教室とじる 種村体育協会主催の初心者を対 象とした日帰りスキー教室は、二 月二十四日早朝五時役場前を出発 バスは一路日光湯元スキー場へと 向った。 所定雄さん一家五人を始め、小 林・萩谷・三村・仲田・高須さん 親子、青年バレー部、村内小中学 校の教職員の皆さん等四十七名が 参加し、白樺の棺より粉雪の舞い 散るスキー場は、例年にない大雪 で積雪は充分あり参加者の気持を かきたてる。準備体操の後、上・ 中級者は早速リフトを乗り継ぎ大 自然の雪の壁に挑戦、滑って転ん でお互いの技をみがき、初級者は 経験の程度により二鑑に分け、関 根澄男・所正晴指導月より納得の ゆく指導を受けみるみる上達、始 めてスキーをはく人も大人と子供 に分かれ、.高橋洋一指導月・加藤 木勝三スキー部長より基礎からて いねいに手ほどきを受けた。娘の 恵美きんの上達ぶりに仲田章さん もウイスキーを味わいながら満足 そう、又長年少の高須雅男・道男 君(八オ)の兄弟もけんめいに練 習、お父さんに負けまいと滑りま くった。 帰りの車中はまさに和気あいあ い、前部と後部のしりとり歌合戦 では自作自演の珍曲も飛び出し笑 いの渦となり、疲れも忘れてしま い参加者相互のより一層の親睦を 深め、釆シーズンヘの大きな期待 を抱かせた。 高須丹さんより感激の手紙 先日の日帰りスキー教室に二人 の子供と参加し、指導員の方達に スキーのはき方、ころび方などか ら教わり、午後はロープトウを利 用し存分に滑って楽しそうでした。 家族で参加した赤沢の所先生の家 の方達はだれも上手で同じスポー ツを家族中で楽しんでいる姿が印 象的でした。 と記憶しています。 その時、まさにそのとおりだと思 いました。 バレーは、個人プレーではあり ません。助け合いが必要なのです。 一人一人の心が一丸となり、和を 作り、初めてチームが生まれてく るのです。 言葉では、簡単ですが、実力を 身につけることより、チームワー クを作ることの難しさは、はかり 知れないことです。 私達の練習は、生半可な気持ち では、ついてこれないのでは?。 〝礼に初まり、礼に終る〞とい う言葉をモットーに、和田雅治を 監督に男子は、田崎キャプテン他 バレーを通して1人1人の和を あすなろバレー部柚賀寿美江 毎週、月曜日と 木曜日に若者のエ ネルギッシュな汗 を流し、練習に励 げんでいるバレー 部を紹介します。 パレⅠ部は、『あ すなろLと名づけ られて十年釆の伝 統をもっています。 私は入部して、五 年になりますが、 当時「あすなろし という意味がわか らなくて、辞書を 引いてみたのです。 すると〝助け合い と善かれてあった 15名、女子は、君島キャプテン他 8名のメンバーで練習に励げんで います。 まずは、体育館に入った時の礼 儀から練習が初まります。 言葉使い、態度、その他、スポ ーツマンらしく、きびしく指導さ れています。 練習内容も、月曜日は女子のネ ットの高さ、木曜日が男子という ように交代で練習しています。 レシーブ・トス・アタックと一 つのポールを皆んなで庇い合う ……すばらしいことですネ。 ぜひ、若さあふれる君、いっし ょに、汗を況してみてはどうかな。 只今、部員を募集しています。 直凍体育館の方へ、午後8時〜10 暗まで月・木曜に/待ってます。 ▽おめでた 大字名 氏 名 高 根 平賀 正江 下阿野沢 矢次 彰 錫高野 江畠 喬 岩 船 飯村 真 (二月届出) ○おくやみ 大字名 氏 名 年 令 上 坪 高橋要之介 七九オ 下 坪 鈴木 つる 八三才 上 粁 森田 みつ、七七オ 阿波 山 岡崎 米吉 七三オ 赤 沢 西田 孝 一七オ (二月届出) 粟下 葉 f下 愛の献血にご協力ください 日 時 3月24日 AM9:30~PM3:30 場 所 種村役場 小幡亜紀子 船橋 真弓 柚賀 雅史 城北ライオンズクラブ 桂 村 役 場 共 催 敏春 利 保 護 明 義 克忍健猛章者
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