広報かつら No.134 1980(昭和55)年 3月
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、b つ 一 報 広 昭和55年3月20日(6) 第134号 八月…八月朔には「八朔」 (ハ ッサク)とい㌧これも古事ある とのことであるが「田の面の節句」 で少しはお祝いすべきである。又 八月は雑穀代を納める月であるか ら、月はじめから心掛けておくべ きである。 そのころ湯治より帰りてのちは 大豆色つかぎる前から結束縄こし らへおき、詩作取り上げの後直ち に畑うない出来るよう心掛けるが よい。 十五日は「名月」とて月見の祝 をいたすべきで、それより大豆出 来次第引取り打つべく、大豆打終 りたまれば、味噌も分限(身分・ 生活程度)に応じて炊くがよい。 麹は生活観窮者は自家製にして塩 のみ写っべきで、塩・麹の入加減 は大体女の知るところである。 粟・稗も出来次第切り取るペき で、又煙草も早植はだんだん土薫 を取り干すがよい。 畠あき次第耕起し中にも油菜・ 芥子・小麦は早く蒔くペきも、秋 の土用とて忙しきときにおくれな いように心がけるべきである。 麦播肥料は、夏草刈溜めおいた 草を切り返しおき下肥を入れて乾 しておくのである。その外荏粕・ 大豆など下肥とよくまぜ合せてお 東浄「歳時ね 種村粟 広 木 守治部 くべきである。乾さざる肥は種変 りもむらに生えるものである。 九月…九月九日は「長湯」とい って祝うべきで、又菊の節句とも いい、古事もあるとのことである が、村の百姓はこれを「草刈揚」 という。この月は又「初済朔」と いい代万上納始るなれば、前月よ り心がけておくべきである。 二十九日は村の祭礼であればこ れまた赤飯にて祝うがよい。 このころ麦蒔にて忙しきもので ある。田作も早生・中生・晩生ま で出来次第刈取り、こきこなし念 を入れ御城米上納に心がけ縄・俵 まで念を入れこしらへて納むペき である。 たばこかきたるものは干加減が 肝要なれば度々とみてよきときに 縄はさみ柵へ掛け干すべきで、縄 ヽ は夏のころより秋初めまでに夜薫 あるいは雨降りにて農事の出来な いときに心掛けて作りおしべきで ある。そのときにいたり手さわり ないようにすべき.である。早く干 し上りたる煙草は、家内の者に申 し付け夜仕事にのすペきで、又切 粉にしては売払い、又はのしにし て売って少しなりとも御上納の手 当に心がけべきである。 又麦の霜切りも早く切るべきで 女房・娘などは仕着織にかかるべ きである。 十月…十月は「亥子」といって 武家では餅をつき祝うとのこと、 百姓は、十月十日は「田の神祭り」 といいこれまた餅をつき祝うので ある。十月も荏代納めるものでこ れまた心掛けておくべきである。 二十日は「いびす講」にて、商 人は酒・吸物にてお祝をするので あるが、百姓などは、新蕎麦切う ち酒も少々買って祝うべきである。 この月、中の申・酉の日は「静明 神」の祭礼として年々定めあるも のなれば、子供のあるものは連れ て参詣すべきで、土産を買うもの には、串柿・熟柿∴柚子・姜・蜜 料・薩摩芋・飴・砂糖・羊かん・ 干菓子・まん頑など買い、又居合 抜・見せ物など子供に見せれば面 白がるものである。その後、裸坂 より下りれば悪病の非人には、一 銭づつも施すべきで、坂の下にて は緋(ニシン)でも買うペきであ る。みせもの・軽業などをもみて それより宿に出てうどん・蕎麦切 などを食べては余計に銭も出るな れば、家より焼飯を自参して風味 が悪くても、大根・牛芳・芋など の煮染(ニシメ)を作って持参し たものを食すべきである。このこ ろは日も短かければいそぎ酒店な どに長居いたさず帰るべきである。 次号につづく \ l ○病あるごとくにl羽鴨眠る なずな ○久々に炭火にもどり膏粥 ○黒き週もち白鳥のまだ子供 いてつち 0凍土に落ち唐辛子凍てひかる ○客ありてやすむひまなし松の内 たなごころ ○御降りや茶のぬくもりを掌 ○妹の添書ありて餅届く ○シクラメンl鉢そえし鏡もち 0初雪のありていよいよ寒の入り 0初詣燈明高き炎かな ○玄関の戸を開けるなり 梅一輸に鼻むける ○小鳥たち他によりつつ 氷のすきから水をのむ 金長 政夫 高須 あさ 桐原 桂花 青柳 貞子 加藤木みさを 宇野 英一 伸宮 亀次 青柳 京子 加藤てる子 樫村 よの 加藤木洋子

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