広報かつら No.133 1980(昭和55)年 2月
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ヽ 、b つ ・カ 報 広 昭和55年2月20日(8) スキーの 楽しさせ満喫 種村スキⅠ教室 種村体育協会主催のスキー教室 ほ一月二十五日ニー十六日、三十 九名の参加者を迎、え、国設猪苗代 スキー場で開催されたb今年は雪 不足を心配したが全月楽しい思い 出を、心と身体に刻むことができ た。 磐梯山の山麓からの景色は雄大 そのもの、眼下には白鳥の遂ぶ猪 苗代湖をのぞみ、白銀の世界に立 畑薫套■ニ葺強姦※‖二巨 一日日は、大津浪雄・小林悦雄・ 加藤木勝三の三指導月を中心に、 班別の実技指導が実施され、教室 全体が意欲的に展開された。上・ 中級は、リフトを中心に、初級ク ラスはまず基礎からと、実習時間 を二時間も延長する熟の入れよう であった。 二日目は参加者全員が猪苗代ス キー場一番の難所といわれる雪こ ぶの多い振り子を滑り、前日の基 本と応用を充分に活用し一日半の 強行な日程ではあったが、スキI の楽しさを満契した。こころよい 研修の場となった。 第一回高令者輪投げ クラブ主催輪投げ大会 -/20 社中体育館 結果は次のとおり 個人の部(女子) 一位 広木 初江 二七五点 二位 五位渕きみ 二六〇点 三位 所 ちい 二五〇点 個人の部(男子) 一位 松島 留書 三一五点 二位 森田 四郎 二五五点 三位 関 四郎 二四五点 団体の部 一位 阿波山二区 二位 赤沢 三位 高久 の輪投げ」につい ての発表を期待し ているのかも知れぬ、それならば 此の輸投げを主として、これをく わしく説明し、その他の事例(奉 仕活動・環境美化運動・その他七 項旦につい、ては、項目だけの発 表に留めることにした。 さて輪投げについて、初めは次 のように話そうと考えていた。 「今ではどこでもおやりになっ ていると思うので、事新らしき申 し上げる必要もないと存じますが 「五メートルの距離をおいて、三 十度余の角度に前に傾斜して据え られた、方六十センチの盤の上に 二十センチの間隔に立てられた高 さ二十センチ余の九本のピンに向 って、心を澄まし、精神を集中す 老人と輪投げ 高 久 郎 八 村 三 去る昭和五十四 年十一月十九日水 戸市梅香町農協会 館大ホールに於て、 県老人クラブ連合 会、全国同連合会 主催の下に開催さ れた「老人クラブ 指導者地方研修会」 で「老人の健康と 老人クラブ活動」 について事例発表 をしてくれとの依 頼があったので、 現在県(天)下に 令名の高い 「桂村 る-。その時の無我の境-。直径 十五センチの♯は、孤を画いてビ ンに向って投げられる-㌔此の真 剣そのものの希投げ競技-。技の 巧拙はさておいて、一心不乱に技 を競う。老人の心身の錬磨にこれ に越す運動はないと思う」。しかし これは時間の都合で割合せぎるを 待なかったが -。 我が高久の翰投げ同志は、今は 十一名に過ぎぬが、毎回三時間余 月二回、殆ど欠席なく技を競う( というより楽しむ)と共に、いろ いろ話し合いをしている。 村の大会では香ばしからぬ成績 ではあるが、一同これにこだわら ず、月二回の練習にむしろ意義を 見出している現状である。 上阿北上下葉錫上大 下錫高錫大 北 錫阿上乗北上錫北 大 孫 阿北大 買○坪根▽ 沢 お お 披 fF 山 方 fF f下 高 波 方野山坪 方坪裏方宕○根莞万富∇ お お 永佐高大尾 栗 山 川 羽 津又林 所氏 く 川 高加飯 氏め 大声小大乗小宮金横氏 く 三安青氏め 畠 間 林津林堀 田 長倉 村藤 川 田口己之青 上羽 藤村 や 徹 名 真裕一 智 男 み樹美行春 で 修 純一 哲治 や み 名 稔 とよ 登起 いの 正作 信弘 菊寿 清 敏子 ( 烏 名 みね 八一オ 光次 五〇オ とみ 七六オ 仁一 ニーオ きみ 七四オ (十二月届出) た 年 令 七七オ 六二オ 八三才 六三才 六二オ 七四オ 七〇オ 二六オ 月届出) 尚 伸保 護 豊規博一者 保護者 均 栄一 一夫 年 令 七三オ 六二オ 六八才 八一オ

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