広報かつら No.133 1980(昭和55)年 2月
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ヽ 、b つ カ 報 広 f第133専 昭和55年2月20日(6) 五月…五月五日に轍を立てるこ とは、昔、神宮皇后三韓を退治⊥ たまへ凱陣の節御船五月五日日本 に帰着した吉例なりと俗説のいい 伝いによりなせるもので、その外 古事も多いとのことである。 また麦作だんだん刈取り天気に 随い、早くこき落すべきで、その ごの秋作一番うないこれを「はな げたをし」、といいこれまた荒れな いうちに早くなすべきである。 田植の心がけには畦端切、二番 うないよくこぎりおき、荒くれか き、草数人、その外の肥料の勘案 をいたすべきである。 このころが一年中で農作業が一 番忙しいときで御上(幕府)にお いても、公事などお取り上げなく、 諸事の用筋もないときで、百姓も 一番骨のおれるときであれば少し の病気にても詩作物の手入おくれ になり、凶作のもととなれば、身 の用心を専一にいたし、食事も過 不足ないようにし、下戸(貧しい 人)も酒の好きなものは毎日少々 心にとめてつかれぬように飲むが よい。又経でも買って食べるべき である。 ほどなく田植もはじまれば、未 明に朝食をとり、家内申出精して われ先にと合植えしまうべきであ 東浄」歳痺ね 種村粟 広 木 守治計 る。 村中植付終れば「早苗振神事」 (サナプリカミゴト)といい遊び その後は、馬持と持たない着でも、 朝草刈に心がけるべきで、なを又 田植後煙草の手入ならびに肥置き その外詩作の草取り、そして二番 切など油断なく働くべきである。 煙草の肥料には干粕・大豆・荏 粕など、その年の直段の高低を勘 案して、使用すべきである。田作 は植付のH数にしたがへ草取りい たし、とくに水の廻らざるところ のないように心を用うべきで、又 早魅ならば夜水引をいたし精を出 せば作徳あるものである。 秋作の草取り鍬入れは人々の出 精を心がけていたすべきである。 六月…六月一日は「六月朔日」 (ムケツイタチ)といい、うどん をうつべきであるが何ゆえかわか らない。十五日もうどんで、これ を「宮多起」 (ミヤタキ)といえ 神前の革をとりこれも何故かわか らない神職にたずねるがよい。 田の草取り二一番革もとるペきで たいがい仕事おわれば村中申し合 せ「富士精進」に入り、家内安全、 五穀成就、風雨あるときをも祈り、 これまでの農業の労を休むペきで ある。しかしながら朝草刈は油断 なく心がけてなし、煙草の虫取り は早く心がけペきで又六月・七月 は、夫金(プキン) (夫役にかへ て納める金)上納ある月なればニ ヶ月とも心がけて納むるべきで完 納後は麦打ちをほじめ、天気次第 早朝よりなすべきである。 七月…七月七日は「七夕祭り」 これもいろいろ古事はあるけれど も、まづ五色の紙モ寿」を書き笹 につけて祭るべきで、その年によ り盆前に大根を蒔くべく、又十一 日は石塚市に行き、盆の用意には、 蓮の菓・箸・まっ香・線香・燈心・ ばんばり・燈籠・行燈・紙・茶学 生り節・花産など買うがよい。太 田産は二二二枚もとりそろい残ら ず男物終り次第早く帰るペく、八 ツ(午後二時)過ぎには雷雨もあ るものなれば心得おくべきである。 十三日には、払方(借金・小作) あるなれば勘定すべきである。そ れより盆になり、これもいういろ 古事あるというけれども「生主祭」 いたし、寺参り・墓参りなどいた すべきで又餅・うどんにて食傷い たさぬようにすべきである。 盆後は蕎麦蒔ならびに大根の肥 料をいたすべきで、十日は荒日な ので神事にて遊ぶものである。 たばこ虫取りも油断ないように 申し付けておき、そのころ畷があ れば、那須・塩原などへ湯治に出 かけるペきで又麦つきもおくれた ものは七月中に終らすべきである。 ブ ㌔・′-ぎ (詩) (高根山俳句会に於て) 遊 高 取 水花如し 錦装火如く 紅楓懐に入りて 山禽鳴く 古老語り尽す 短丁歩 高取山峰 秋風過 十 三 夜 北風己に伝う 紅葉の報 鳴雁数行 南天向 清遊一夜 明月謳う 月は人心照 中天輝く 作 山崎 徳 窓辺から 透きとほるように 空は碧い そこに白い綿みたいに ふんわりと浮んでいる 白い雲 なんとさわやかな平和の日和り あと三月と迫った 「停年退職」 の日 窓からみる街は 変らない 私のみが 変ったかのように心さわぐ 作 小幡 水夫 .
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