広報かつら No.131 1979(昭和54)年 12月
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ヽ 、b つ カ 琴 広 (3)昭和54年12月20日 第131号 私は、五十年度食生活改善推進 員の養成講習を受けてその仲間入 りから四年になりますが、先輩推 進員さん達に負けず、がんばって ゆきたいと思っておりうす。 食生活の改善と一口に言っても 文字で書く程そう簡単に出来るこ とではありません。皆さんの家庭 ではいかがでしょうか。それは良 いことだと知りながらも今日から 昨日と違った食生活をと考えると いと息います。でも私 達は自分自身のいや家 族の健康を考えるときそれは是非 やらなければならないことと思い ながら一人ではなかなかたやす〈 できないのが現実です。だから村 の活動、各部落で行う伝達講習会 などには暇をおしまず積極的に参 加していただきたく思っておりま すが、今は家にいる人が少なくそ ういう機会があってもなかなか出 にくいことでしょう。その中でい 絹寝絹摘食生活改善推進員だより 昭和55年成人式を 迎えるにあたって 村民の皆様には,益々御清栄 のこととお喜び申し上げます。 ついては成人式を例年どおり 来春挙行いたし,ひとりひとり の成人者の門出を祝福する運び となりました。 成人式参加者は,村内出生の 方並びに転入された万全貝を対 象としております。 成人者には直接御通知を差し 上げて,参加をとりまとめてお りますが,もし通知もれの方が ある場合には,恐縮ですが公民 館まで申し出るようお願いいた します。 0期日 昭和55年1月15日( 成人の日) ○場所 種村中央公民館 電話 2220 有功:368-01 0該当者昭和24年4月2日か ら昭和35年4月1日 までに生まれた万 かに皆が集まれぞか、時期や時間 なども考えていきたいと思います。 お勤に出ていると自然横着にな るというか家に帰るとくたびれて しまうということで、ついインス タント物を買い求め手をかけず簡 単に食卓に並べがちです。生活が 便利になってゆくことはたいへん 良いことと思いますが、仕事に母 親が縛りつけられて食卓をかえり みないのは困ります。 阿波山推進員広 木 先日このようなお話を耳にしま した。今は、幼稚園、学校に入れ ば給食がある。こういうことが、 あたりまえになっています。とこ ろでその給食が何かの都合で休み になり、一ケ月もニケ月もお弁当 持ちに切り替・えられると主婦にと っては大変な負担となりお弁当を 作り続けることができなくなる家 庭が出てくるということです。そ れ程給食は家の中にはいりこんで しまい、その普及は親に弁当を作 る努力もさせなくなってしまいま した。子供はお弁当を持って来な さいと言われるととっても喜びま す。便利さや合理性が進んで親は 子供に必要な時に必要なことをや らない、弁当も作れない、私達は そんな親にはなりたくありません。 子育ての手抜きは、その子の一生 の中のどこでも穴埋めできるもの ではない取りかえせな いものなのです。私達 明 美 は自分の健康は自分で 守る、そして幸福な生 活を取い努力しております。 健康で幸福な生活を支えるもの は金銭的、物質的に恵まれても基 本となるのは毎日の食事にあるも のです。私自身今後も一層皆様と ともに頑張っていきたいと思いま す。 十1月十三日、くもり空の下で 先生を含めクラス全員で那珂川の 川原でバーベキューをした。自分 たちでかまどを作り、あぶなかっ しい手つきで野菜を切り、味つけ なども先生の手を借りずに作った。 みんなの家では大部分が農業をや っているので新鮮な野菜を使うこ とができた。みんなで協力し合っ たのでおいしそうなすきやきがで く作文〉 わたしたちの作品 ( 楽しかった バーベキュー 一年園部 仁美 図 画 2年 粕谷 美江 習 字 3年 仲田 千里 きあがった。みんなおなかがすい ていたので、満足そうに食べた。 私達の元気な声が天までとどい たのか雲のかげから、太陽がのぞ き出した。みんなも少し食べたら おなかがいっぱいになったみたい だった。とてもおいしかった。お なかがいっぱいになったあとはレ クリエーションなどをやった。こう して県民の日の一日がすぎていっ た。私達にとってこの日は忘れら れない一日でした。こうした行事 を又やりたいと思う。
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