広報かつら No.129 1979(昭和54)年 10月
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、b つ 報 広 昭和54年10月20日 は) 第129号 阿波山ママさん ソフトボ・-ル チーム誕生 ソフトボールを通して、会月相 互の親睦と健康を図り、合せて技 術の向上をめざす目的において、 九月十六日阿波山ママさんソフト ボールチームが誕生いたしました。 発足式には監督以下選手十六名 が勢揃い、閲教育長、仲田体指委 員長、鴨志田ソフト部長からのあ いきつがあり、仲田三男氏からル ー ルの説明がありました。 ママきんソフトチームは村内で は初めて、県内でも十五番目とい う事で今後Ⅵ活躍が期待されてお ります。メンバーは、仕事を持つ ママきんから家庭のママさんとバ ラエティーにとんでいます。チー ムそのものは、うぶ声を上げたば かりですが、幸い良き指導者に恵 まれ毎週日曜日の練習に励んでお り、腕もめきめき上達しておりま す。 「休にも美容にも良い」 「練習 日が待ち遠しい」という部員の意 気込みと熱心さも大変なものです。 江、照沼トミノ、栗田博美、平壌 今後はほかのチームとの試合や 大会に出場できるチームになるこ とを目標に練習に励んでおります。 監督・照沼光男、選手・小佐畑初 っぜ子、広木喜子、加藤木真由美、 加藤木敏子、石沢好子、小林恵子、 加倉井道子、神長ソノエ、陶正子、 平塚かつ子、小堀泰子、君島年子、 小野寺洋子。 ′∫11\ ).、・ ■■h■ 」H ¢ = れた村の大会に 於ける汚名挽回とも言った発奮感 からでもあろうか、大分懸命な練 習振りの風評が放じ始め、それが またアナラコナラと言った各坪へ と波及してか個人持ちの用具も適 当な安配で、この人達も相手を求 めて練習を始めて逐次「ライバル」 意識が高まり、相当の瑞(和)状 が拡大されて来た事は誠に喜ばし い現象で、大いに評価し得る事柄 だと言えよう。 さてこうした時点、即ち九月三 十日は岩船小学校の運動会が延期 され、翌日(一日).の定期練習日 と入替行事を実施する事になった ので、前述の成果技量の検定をす る事も良かろうし併せて村民運動 老人クラブの輪投もヂに思う 孫根老人会代表加藤木 書之介 九月中旬後半 の天候は極めて 異常気象で、典 型的秋長雨で不 安定の連日であ った。岩船地区 分館は我がクラ ブ月の拠り所と して絶好的環境 下にあって大変 恵まれている関 係上、クラブ員 達は軽易な気持 ちでお互いが誘 い合って、半遊 技的とも言うか また既往に行わ 会出場者の面も考慮し、今回は模 擬大会と名づけ、各自一応の体調 を整えるペく練習を試みたのち、 各坪(表裏観)と各十四チームを 編成し、大会の要領を以って競技 を行なったのであるが、その成果 はあまりかんばしくもないが、参 考まで団体H905裏口900表白糾観個 人H猶小林恵都臼215青柳しの臼猶 高須あさ以上の通りで、前回村大 会に於ける(団体)995(六位)と 対照した五人対十五人の成績を見 ればまずまずと言えるであろうし 斯した後に一同が館中央に机を並 べ軽い賞品を授けられ、お茶を飲 みながら反省会の形式をとったの であるが、雑談の中第一の問題に 普だん練習の時と本番のものと格 差がある。又調子の悪い良い日等 々が異口同音であった。とに角わ ぎ事と言うものはどんな種目でも 共通する事で、伸々難かしいもの でこの練度は無限であり、一朝一 夕のものでない事由を知るべきで あろう。因みに弓道家は静、中、 動、又剣道に懸待一致の基本が示 されある由は、これ曹脚腰の正剛 の構えを説いた者と心得て斯技に 精神する事により我々老齢者の体 位保健上、そしてお互いの親睦感 又心の交流等々は老後の生き甲斐 に資するにも相当の意義ある体技 と言えるであろう。以上我がクラ ブについて概要を述べきせて頂き ました。 ′ \ 九月十六日 桂運動公園 0結果は次のとおり 優 勝 役 場 準優勝 フレンズ 三 位 モータース 四 位 メッツ 決勝戦 フレンズ001001000 役 場10020101× 大字名 阿波山 錫高野 下 咋 錫高野 孫 根 葉 入りお 大字名 下 咋 上阿野沢 錫高野 上 梓 赤 沢 阿波山 昭和五十四年 軟式野球大会 ■≒篭Ti盲丁ミ■」一ミj一tモjlモj・毒■ユtlユー■tミ一tij,!」1t・jij ∇お め で た く 氏 高瀬 広片折桐南和氏 木岡笠原条 田 倉橋 とめ 六五 (九月届出) 平井弥五郎 飯村熊之允 入野 ふよ 所 信一 (九月届出) や み 名 義彰 源 誠 甘 優子 慶子 保護者 雅 治 治 順 辛 文 雄・ 勝 栄一 イヽ}. ∴

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