広報かつら No.123 1979(昭和54)年 4月
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、b つ 報 広 第123号 昭和54年4月20日(8) お父さんソフトボール 優勝 友人クラブチーム 第十回を迎えたお父さんソフト ボール大会は、三月十一日、十八 日の二日間、村営グランド、桂中 グランドの二会場にl一十四チーム が参加して熱戦が繰り広ろげられ ました。 決勝戦は前回優勝の友人クラブ チームと赤沢(B)チームの対戦 になり、友人クラブチームは一回 に一点、三回に二点、五回に二点 七回に一点とリードを許したもの の、三回に二点、五回にはホーム ランを含めた大量九点を奪取し赤 沢チームを十一対六で破り見事勝 利をものにしました。 大会の結果は次の通りです。 ▽二回戦 高根 北方A 阿液山 赤沢B 下阿野沢A ▽三回戦 孫根A 友人クラブ 下阿野沢B16対5 孫根A 23対8 友人クラブ7対5 函硬直厨司吻園廟厨画固 16対9 8 11 7対0 15対10 12対5 12対9 12対4 下阿野沢A オール阿波山A 錫高野 下押 葉 教職員 高久 茨城光学 下阿野沢B 高根 第十二回ママさん バレーボール大会 阿波山 優勝 第十二回ママさんバレーボール 大会は桂中体育館、粁小体育館の 阿波山 18対10 北方A 赤沢B 11対4 下阿野沢A ▽準決勝 友人クラブ12対日 孫娘A 赤沢B 9対5 阿波山 ▽決 勝 ママさんバレー一っ山チーム 赤 沢 BlO20201 友人クラブ002090 屈逆垣直面隊 厨逆匝]巨召 二会場で熱戦が繰り広げられまし た。 農作業の合間、又は夜間に練習 した成果を存分に発揮、チビッ子 たちから声援をうけていました。 Aブロックは上咋が下咋、赤沢、 高根をストレートで破り決勝戦に 進出、一方Bブロックは豊富な練 習と若さを発揮した阿波山.が決勝 に進出、決勝戦は両チームとも実 力が伯仲し熱戦の結果、阿波山が ストレートで上拝を破り優勝旗を 手中に収めた。 決勝 阿波山{門1614}嘉 かる。昨年から岩船地区にオハヨ ウリーグ戦が出来四ケ月にわたる 開幕であった。 村の大会は年二回だが、この長期 にわたるオハヨウリーグは、稔当 ヽ お父さんソフト 錫高野チーム 日曜日朝 幸 五時、目覚 しの音でね むい目をこ 井 武 岩船小グラ 佗 短時間の準 表 備運動と練 習をして五 時半プレー ボールがか ンドへ集合、 リなので面白さも倍増する。早朝 のすがすがしい空気の中での試合 はまたかくべつの味わいである。 昭和四十九年発足当時チームメン バ1は十名程度であったものが現 在三十名になり、二チーム結成さ れるにいたりました。その間大会 ごとに数々の珍プレー等思い出が 沢山あるが、その中でもやはり五 十三年に念願の優勝で、勝田市で 開催された県大会に参加出来たこ とはチームの結束をさらに深める ことになった。 メンバーは各々職場もちがい練習 するにも全員がそろうということ も中申出釆ないが、それでも皆ん な、なんとか都合をつけて参集し て釆ます。 お父よ.ノフト錫高野チーム ′一lI、 \ どこの部落でも以前は、近所の者 同志顔を合せる機会がなかったの が、これらのスポーツを通じて人 間関係がうまく行き、家庭の中心 者である同志が、これからの村の 指導者になって行かれることでし ょう。各種のクラブ発展のため皆 んなで努力しましょう。 ◇お詫び 三月発行(広報かつら) のわたし たちの作品欄中、岡部貴子は園部 貴子の誤りでした。訂正してお詫 びいたします。 食おめでた 阿錫北孫上北阿大 波高 波宇 山 野方 根ゴ下 方 山 名 大字名 上 坪 孫 根 錫高野 下 坪 ○おくやみ 氏 氏 名 加倉井すて 小堀 はる 桧山 息介 小林 はつ 加藤木兼次 蛭町 愛志 大畠 庄一 名 雅子 宏之 直美 (三月届出) (三月届出) 岩保 公和 保 護 夫恵一 男 者 セセ セ九 八 九七年 二二一 四 一 四 三齢
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