広報かつら No.122 1979(昭和54)年 3月
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、b つ 報 広 昭和54年3月20日(6) 第122号 喜びの喚声の中に 日帰りスキー 教室終る 初心者を主体とした日帰りスキ ー教室は、暖冬の天候に雪不足が 危ぶまれたが役場前出発の五時頃 より小雪が舞い始め栃木県茂木町 を過ぎる頃より一面銀世界と変り 一路パスは奥日光湯元スキー場へ と向う。昨夜来降り積った新雪は 桂村の人達を歓迎してくれるかの 、社告体育だよ甘側 様に白樺やカラ松の小枝よりハラ ハラと粉雪が肩の上に舞いおり、 冬の言葉を語りかけてくれた。 仲甲所、小林等の六家族の皆 さんと農協を始めとした青年の人 達、桂教職員青年部の人達が参加 し去り行くスキーンーズンをおし みなく満喫した。 最高齢者の萩谷芳男(64オ)は、 孫の直美ちゃんの上達振りを目を 細めて声援して居た。又最年少者 照沼渡(5オ)君もスノーボートを 操り両親に負けじと滑りまくって いた。 大人の初心者は加藤木スキー部 長、大津正道指導者に従い基礎か らの手ほどきを受け、待望のリフ トに乗りツアーを楽しんでいた。 小学生の初心組は所定雄先生の指 導で見事な上達振りを見せ、親が 転んでいるのを尻目にスイスイと 滑り参加者の関心を呼んでいた。 江幡修君は「私達青年は村外に 出て働いているのでこうした機会 に友達と畠り合えて心のささえに なります。この様な企画に対し感 謝申し上げます」と語っていた。 来年も是非初心者の仲間を歓迎 し、想い出を沢山経験してみませ んか。釆シーズンをお楽しみに。 .■ 一-、 一t ■ 軒二手そ可捧■ して釆た様な次第で、何度かの練 習によってポールが受けられる様 になりました。チームのメンバー も全員といっても良い程の初歩的 力量なのでお互いにカバーし合っ てとても円満に練習して居ります。 ここで簡単にチームを紹介させて 頂きます。 車の運転が抜群で「何処へでも 足になって上げますヨ」と心よく 引き受けてくれる石崎(文)さん。 大柄で細かく気をくぼってくれる 君島(知)さん。九州弁と茨城弁を 交えてユニークに話しをしてチー ムを和ませてくれる江幡さん。何 時も冷静で時折力強いスパイクを 打ちこむ塩沢さん。小柄だけどサ ーブ抜群の皆川さん。チーム全員 が尊敬している所(幸)さん。プロ ポーション恥1の石崎(克)さん。 チームワークなら No.1赤沢ママさん 代表 川又 りう子 何んの考えもな く役を引き受けて しまい戸惑ってい た私でしたが四年 昌を迎えやっと慣 れて参りました。 バレーのバの字も 知らず学生時代に 経験したスポーツ と言ったら卓球位 のものです。だか らアンダー、オー バーパスと.いう用 語の意味も知らず やっとこの頃理解 パスもサーブも上手な広木さん。 旦那さんの理解を頂き再加入して 下さった君島(久)さん。皆お互を 労わり合って練習をして譲ります。 ただ私は代表とい、 皆さんにおんぶしている様な次第 ですが各家庭のお父様方が「家の かあちゃん出すから頑張ったら」 と暖かい言葉を頂きファイトが湧 いて来ます。四年目を迎えたチー ムも試合はまだまだ思う様な発揮 が出来ませんが、お父さんソフト の皆さんからの飲み物の差し入れ や、ソフトとバレー部との合同反 省会が全員の楽しい想い出をつく っています。日頃歌を歌う暇など 無いママさんもこの時とばかりに お 大字名 赤 沢 上阿野沢 下阿野沢 上 梓 赤 沢 お め で 大字名 氏 名 下 町 線引和子 阿波山 塙 洋一 阿波山 尾崎浩一 錫高野 金長厚子 高 久 石井俊之 上 打 岸 悦子 阿波山 大畠恵子 マイク片手に美声を披露してくれ ます。 私達全員が思うことは、負け惜 しみではなく和やかに何んでも纏 まり良く出来るのは、赤沢チーム の誇りです。お父さん達の暖かい 思いやりと皆さんの協力で次の試 合に備えて毎週練習に励んでいま す。今後もお父様方の御協力に感 謝しながら頑張りたいと思います。 下阿野沢 下 押 下 押 fF‾方 長山てふ 高塀いし 木村甚一 所 くま 横倉すわ 添田みね 氏 名 堀江垣次郎 船橋洋平 秋山仁美 栗原慶子 (二月届出) く や み 八四 七九 七八 八三 六三 七五 (二月届出) た 保護者 光一 康一 勝憤渉義 郁 親英 己一→光 夫 之 治。忠
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