広報かつら No.121 1979(昭和54)年 2月
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ヽ 、b つ カ 報 広 第121号 昭和54年2月20日(剖 和気あい透いの内に スキー教室終る 桂村体育協会スキI訂(部長加 藤木勝三)主催のスキI教室は、 このほど二拍三日で福島県猪苗代 スキー場に於て青年男女三十名の 参加によって和やかに開催された。 磐梯山の中腹から眼下に広がる雄 大な冬景色の猪苗代湖を観てのダ ウンヒルは、若者の気持をかりた て気分爽快に滑って転んでお互の 親睦を高めるのに永いに役立てる 事が出来た。 毎年おせ請いただいている民宿 逸足のおばさんの欄慢料理に舌鼓 をうち、夜の懇親会には参加者の 年男が豆まきの行事を行い大きな 歓声を受けていた。 上級姓は、田崎、関根班長を中 心にリフトを乗り継ぎ、国体コー スを滑行し大自然の嘗の壁に挑戦 する。中級及ぼ、加藤木、西田指 導員から懇切丁寧な指導を受け振 り子沢の壁を滑り下りた。初心者 鑑も、所先生からのユーモアある 「ポッポッボ ビン」と一時の 時報が鳴ると三々五々私の友達が 集ってくる。「こんにちは」 「今 日もよろしくネ」と皆にこ〈、 いき′\とした挨拶、それからサ ァ一端なげの道具を出す人、椅子 を並べる人、みんなで用意する。 いつもの順番で輪なげが始まる。 「それ行くぞ」パタン〈/\ 鉄板の台にあたる普は、独特な響 を梼ち私達年寄りの心をおどらさ 20点か」とまつさんは、次のきみ さんに交替する。「お前もう少し れる。「それ、5点だぞ」 「しっ り真申のビンに入れろ」 「なか か入んねえなァー」 「やっと、 グループ 紹 介 私達の輪なげグループ 徳宿きよ八十三歳(阿波山) 頑張れや」と武治爺ちゃんは、き み奥さんに声援を送ると「二人も 指導を受けながら、民宿迄の林間 ツアーコースを悲鳴を上げながら 滑り下りた。 鯉渕春美(談) 家を触れて骨j んとの談話やスキーという未知へ のものへの挑戦は、とても良い思 い出になりました。来年はもっと 体力をつけて参加したいです。 高土正代(談) 初めてスキーを 履き雪の上に立った時は、胸がド キドキ、滑り始め転んで新雪の中 に顔をつつみこんだ気持はなんと も云えません。若い人達がたくさ ん参加すると、もっと楽しかった と思います。 阿阿高大 渡 波 宇 山 山 久名 んほ、いいなァー」 の皆の笑声に なる。 順番が三回も廻ると、背中がし っとりとして上着をぬぐようにな る。「35点入ってよ、かったね」と だれもが拍手で喜び合う。輪なげ 最中は、みんな夢中で顔を真赤にし て童心にかえっている。ほんとう に楽しいひとときです。 談笑のうちに12固の論なげが終 ると、ドヤーヤとこたつの中に入 りこみ、今日の成績話しに息がは ずむ。 「雨で二三日投げないと気がぬ けて張合がないねー」「ンダンダ」 とうなずく。「輯なげを始めてから 風邪も少くなったし腰も痛くなく 年寄りにはいい運動だネー」とだ れかが云うと、みんな で、うれしそうに再びうなずく。 ほんとうに毎日が楽しい。 これからも飽きずにやろうと、 頑張っている。 〝亦へあしたね〞 〝サヨウナラ〞 七十年前の乙女よサ お 氏 名 宮本 直之 五位渕真美 中井川浩之 (十二月届出) 仁 や み 氏 名 年齢 め で た 孝宗 保 新護 次次 者 高上赤錫孫上岩岩礁孫赤孫孫錫大 高宇 高 阿 久坪沢野板野船船根根沢根根野名 お 沢 お 大字名 赤 沢 阿波山 阿波山 北 方 阿波山 高 久 錫高 下阿野沢 上 坪 錫高野 堀野辺三義 夫和田さた 所 辰之助 入野 ウメ 三村 和夫 平賀 小林 君嶋 平賀 三村 小林 小林 桜井 江幡 ▲雅弘 船橋千賀子 和田 勝 横倉 秀一 松島 崇 ( く や 氏 名 飯村たみの 美野輸しも 八九. 山崎 治雄 二五 小田部ふさ 七六 鹿志村六之介 六六 飯村猛三郎 八〇 (十二月届出) め で た 氏 名 保護者 しを 泉 高男 義夫 ゆき 昌秋 武信 三次 (一月届出) 一月届出) み 満清精 康 男 次三 明 則 五八八七六八七八八六八二五四年 ○五六 四 七○一 四 ニセーー六 八齢 e 匂 r O 孝 一了こう ..ゼ、 ご■盲
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