広報かつら No.121 1979(昭和54)年 2月
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広 報 か つ ら 第121号 昭和54年2月20日(2) て新しいスタート 去る一月十五日、桂 村中央公民館において、 成人式が盛大に行なわ れました。今年本村で 成人を迎、えられた老は 三三名、式典は総務 課長の司会のもとに進 められ、広木村長式辞、 大森教育委員長のお祝 のことば、つづいて仲 田議会議長、仲田社会 教育委員長からの晴れの 門出を祝う祝辞があり、 そして成人者を代表し て、藤田好美君が謝辞を述べられ、 成人者全員には記念品が贈られま した。式典終了後は昼食懇談に入 り自己紹介、そして広木創司君の やタ一に合せての歌と、終始なご やかな雰囲気のもとに一切が終了 ・-いたしました。また今年は始めて の試みとし、成人式運営委員会を 設けて、成人記念誌等の発行をい たしました。 なお、本村ではご承知のように 昭和五十二年十二月一日より明る い村づくり「種村新生活運動実践 の村」のスローガンをかかげ、簡 素化運動を推進し ております。来春 成人式を迎えるご 蓼庭、成人者に改 めて趣旨をよくご 理解願い、長く着 用できる着物や洋 服等に切替え簡素 な服装でご参加下 さるようお願い申 し上げます。 成人を迎えて 岩船 小林 幸夫 先日の十五日に私もやっと成人 の仲間.入りを致しました。振り返 ってみると、長かったような短か かったようなどちらとも言えない 気持ちです。 よくr成人になって感想は?L というアンケートがありますが、 責任感というのが一番多い答えだ はた ち 上阿野沢 寺田 京子 二十オ ー そう言われてもビン とこないのが正直なところである。 私の場合、親のすねをかじってい る学生ということもあってよけい である。「一人前でない」そういう 意味で、私は成人式に出席するの をとまどった。しかし成人式に出 席してみて思ったことは「みな蛮 そうです。私も例にもれずやはり それを垂〈感じました。今までの 私はわがままし放題で親に甘えて ばかりだったと思います。しかし これからは、そうはいきません。 どうかするとこれからは他人のわ がままをきいてあげなければなら ないかもしれません。 特に私の場合、今年学校を卒業 して四月からはひとりの社会人と して世の中に出ていく身なので、 甘えた気持ちは一掃しなければな らないでしょう。親やもう働きは じめている友達の話をよく耳にし ますが、社会は厳しいところであ って学生時代のような甘いところ であるとは言いません。そういう っていないなあ」「やっぱり出席し てよかった」ということである。裏 をかえせば、私と同様皆も成長し ていないということだろうか、一 応は晴着をきても中身が伴なわな いのである。私も皆とまじって、す まして写真におさまってきたが、 心の内を見すかされるようで、写 されるのが恐しかった。「体ばかり 一人前になって…」よく言われる 言葉だが、そPものずばりであろう、 昔の元服は十五オであった。今の 成人式は昔の元服に由来するのだ ろうが、今二十オの私は、まだま だ子供だなあと感ずる。というの も、二十オ以前は法律で保護をう けていたからだろうか、何か罪を 忠告をよ〈肝に命じ、厳しい社会 に対する心構えを持たねばなりま せん。 今の時期は人生の一つの節であ ると言います。この大事な時期だ からこそ、しつかりと前を見すえ 自分の生き方に信念を持って、又 人生の目標を持って立派な社会人 になろうと思います。「初心忘る べからず」という世阿弥の言葉が ありますが現在のフレッシュな気 持ちをいつまでも持ち続け、自分 にしか出来ない生き方をしようと 思うのです。 犯しても、二十オ未満ということ で許される。反面、親元から離れ、 自活していて社会の一員であるの に選挙権は得られない。元服が行 なわれた頃は二十オといったら、 本人自身も周りの人々も皆大人と 思っていたろうに…。ただ二十オ になればやっと大人の仲間入りと いう気持ちだけはある。選挙権は 得られたし女性ということに甘え ることなく政治、経済、教育elC に目を向けをい。また、与えられた 多くの権利とともに、果たさな〈て はならない義務も増えた、精神的に 不安定で未熟な私だがトニれから は少しでも社会にでて恥ずかしく ない人間になれるよう努力したい。
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