広報かつら No.111 1978(昭和53)年 4月
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ヽ 、b つ ・カ 報 広 第111号 昭和53年4月20日(6) おしどり優勝成らず ソフト優勝・錫高野お父さん バレー優勝 坪ママさん 農閑期穀後の休日(二月二十六 日)を利糊Lてのお父さんお母さ んの体力つ〈り球技会がバレー九 千ーム、ソフト二十チーム人‖せて 四常食名のパパ、ママによって撼 大に槻催さJLた。 大会臼と各家のお祝い行事が重 なり、麓技途中で式服に着がえて 行く人、試合が気になりお祝いの 席を中瞳Lてかけつけて来る人な ど、和ハ対人〓々のうちに春の一日を 卦しく過していた。 大会の成績は次の通り 社会体育だよ・り ○決 勝 阿波山A OOOOOOl 錫高野 120000× ママさんバレーボール Aブロック 錫高野 北 方 高 根 錫高野 孫 根 高 根 孫 根 赤 沢 錫高野 お父さんソフトボール ∇二向戦 下′押 8対5 錫高野 7対0 下阿野沢 2対1 友人クラブ7対5 孫根B 7対0 高 根 14対9 阿波山 11対5 全阿波山A9対0 ∇三回戦 錫高野 6対1 友人クラブ8対1 高 根 11対4 全阿波山A9対8 ∇準決勝 錫高野 8対2 全阿波山A15対14 (リーグ戦) 2対1 2対0 1対2 2対0 2対1 1対2 2対1 0対2 2対0 錫高野 高 赤 孫 レし ] 赤 レし 高 久 教職員 藤根A 北方A 下阿野沢B 北方B 赤沢A 粟 下 押 下阿野沢A 孫根B 阿波山 友人クラブ 高.根 方沢匝根沢根 沢根 滑って、 北 方 Bプロッタ 阿波山 下 .・†ノ 下阿野沢 下阿野沢 下 ・◆■ ○決 勝 スキー教室から 〝キァアー、そこどいて、どいて ってバァー、止まらないのヨー〞 と大声を張り上げ、行く先はスキ 2対1 孫 根 (リーグ戦) 8 1 「J - 2 21-8 1 1 2 2 2 0 2 2 村村村村対 0 1 2 0 0 阿上阿上下 披阿 波阿 阿 山 野 山 野 野 沢 沢沢 (桂村体育協会) 転んで 1 錫高野 ーの板に聞いてくれとばかりに、 滑って転んだ桂村スキー教室。2 月17日午後出発二泊三日間の日程 で、全員楽しい思い出を心に刻む 事ができた。 朝六時起きの団体行動に身が引 きしまり、磐梯山の山ふところ白 銀の世界の真申に立った時は、喚 声が上った。大津浪雄、小林悦雄 吉田一拍導貝を中心に、鑑別の 実技指導が実施され、教室全体が 意欲的に展開された。 夕食後の親睦会は、小林主事の 新しい企画のキャンドルサービス が厳粛に行われ、中でも照沼夫妻 の参加で教皇全体が和やかになり 首鼠の横倉さんグループや、那珂 町からの特別参加の若い乙女達と の若やいだ対話の中に、明るい農 村を築く青年達のこころよい研修 の場となった。 (寺田あい子談)ゲレンデでは、 厳しい指導の大津先生も宿に帰る と、スパラシイ歌を聞かせてくれ 楽しい思い出が出来ました。 (照沼トミノ談)生れて始めてス キーを体験しました。帰りのツア ーコースの雪こぶや産みちには、 死ぬ程恐ろしい患いをしたが、吉 田先生や上級者の皆さんに指導し ていただき、見事に二回も滑り降 りしました。終って見て、とても 感激でいっぱいでした。 (教育委員会) し 上下部 落 rF rF名 粟錫上高上大 高 宇 野プ下根ざ下名 部落名 孫 根 葉 北 方 阿波山 上阿野沢 錫高野 下阿野沢 孫 根 大字名 下 坪 錫高野 上孫 高 士下根 久 (三月届出) お く や み お め で た 氏 名 保護者 江畠留次郎 峰 宮子 (二月届出) 氏 名 小林 けさ 園部喜代松 (三月届出) 所大高氏 越」喬 氏 名 加藤木正一 開 拓也 横倉 理恵 小堀 佳宏 河井 明美 折笠 聴 高堀 松.一 加藤木 茂 三村 和也 宇野真紀子 鯉渕 宏美 加藤木信宣 鹿志村恵美子 (二月届出) 名 あさ 巴 勝一 貞 勝孝仲通 夫三.一二好 勇健文 勝主敬正貨 治 一一灘=専一 計一雪者 六 七年 七五齢 四 七 八 匹l八 年 一 九五六 九齢

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