広報かつら No.110 1978(昭和53)年 2月
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ヽ一 ら つ ・カ 報 広 第▼110号 昭和53年2 ギツクリ贋を 予防したラジオ体操 桂村農業協同組合(平賀義厚組 合長)本所では、おととしの十月 から毎朝勤務前の五分間を職員全 員でラジオ体操を実施している。 以前は、九・十月の玄米の出荷期 になると全村の供出米を倉庫に格 納する為、毎年職員の二、三名が、 ギックリ腰や腰痛症で入院やら通 院で病欠するという状態に頭を悩 ましていた。そこで管理職会議で ′、■上′、く▲一⊂一∑=⊂∑【 C’勺C∑=Ui{ヽ一∑【 こ【んU■一ムr.□∑こ′.E〓q∑「▼q】ん√′凸∑二「〕↑んqG∑L O∑ じEr∵ロtT ▲p〓一山JdH「一「つ∑ノ 】∑㌧二ソニ二 誅常鞋難敦緊控擢整静簸褒療蘇薩轟藤轟料率東萩諒恕薮 健康対策としてラジオ体操を採り 入れてみることにした。始めは、 今さら学生でもあるまいし”ゲー プンが悪いなアー″と言いながら 始まったところ腰痛を訴える人が をくなり、勤務に能率が上がった りして健康外の面でも良い方向に 向かった。 現在では、輪番制の日直が担当 になり、ラジオ体操のテープを農 協の庭先に出し音楽を流して、三 三五々集合し、一年半毎日欠かす ことなく続けられた。今年は、冬 期に入っても病欠者もをく、勤務 能率が上がったと喜ばれている。 広木部長談 はじめは体裁が悪 かったが、体操の効果が判って釆 たので、当然やるものと言う風に なって釆た。勤務への意欲がスム ーズに高められる様にをり、朝会 時の連絡も和やかになった。 撃ちな おば参ちゃんも集った 高根の輪なげ 体力つくり推進部員の仲宮さん が老人会の皆さんにメダル争奪戦 を呼びかけたところ十八名が公民 館に集まり、興野けさ助さんも膝 が痛くて、どこへも出ないが、皆 の真剣を輪をげの様子を見たいと 座布団をかかえ応援しました。寒 風の中でも上着をとり、ソレッも う一息だ′の掛け声がかかり、終 了後は、懇談会に軽い一杯を口に してJドンパ節踊りを行い楽しみ ました。 上坪老人会では、平壌推進委貞 木村会長の呼びかけで、上坪公民 館に集まり、二十一名で輪なげ大 会が初めて行われた。木村会長は 「私は、世話役を引き受け、記録 係に廻りましたが、同点一位が出 て再び決勝戦も行う程盛会に出来 ました。終了後は、村大会の選手 壮行を兼ねて新年会を催しました。 メダル争‡戦の結果 ◆ 高根大会 金賞 仲宮 亀次 二一〇点 ◆ 赤沢大会 金賞 石崎 丑吉 銀賞 小沢長次郎 銅賞 君嶋 道次 ◆ 上阿野沢大会 金賞 長山一三 銀賞 川野辺もと 銅貨 所 仰二 〇輪をげ年間得点累計の最高得点 者を参考までに披露すると、昨年 の六月から十二月末日現在で 高島政之允一一〇日 二四、三一〇点 五位渕武治 七四日 一五、六七〇点 小出 元一 七二日 二、五五〇点 小松たま子 九八日 一八、七八〇点 五位渕みき 八九日 一六、〇八五点 小林 まつ 九六日 一三、五五〇点 等の記録が連絡されています。年 間累計は、各大手が独自の方法で 計画実施しでいるので比較は出来 ませんが、自分の健康づくりを考 え、楽しい集いの場を自分達で作 り、自主運営をして下さい。 - ヽ モ 銀賞 平賀 銅賞 加藤 ◆ 上叩大会 金賞 小林 銀賞 園部 銅貨 大越 し 膠 め 一 明 ○二 二 0 00 占 占 占 錫高野 下1坪 赤-沢 北.方 赤 上岩 大字名 下 押 上 坪 錫高野 上 坪 赤 沢 岩 船 大字名 大字名 赤 沢 阿波山 高 久 阿波山 お 上岩赤下大 阿 阿 野船沢野 沢 沢 字 名 お め で た 死 亡 氏 名 黒澤 くら 大津春之允 飯村 さつ 加倉井萬之壷 大畠 光 小堀 すて (一日届出) く や み (十二月届出) 氏 名 年令 河井 ふく 七六 佐川いさ子 六九 関口 三郎 六八 小林初衛門 七八 金長金垂郎 七四 石崎 儀雄 二九 大畠 みね 八四 (一月届出) 大畠 順子 小林 美雪 宮本 明夫 小林真佐子 氏 名 保護者 氏 名 涯通 知美 所 暁文 大座細 晃 川野遽朋子 (十二月届出) 保 正文膵謹 厳勝雄男 者 九五■八上土八年 セセー三二二令
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