広報かつら No.106 1977(昭和52)年 10月
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ヽb つ 報 広 (3)昭和52年10月20日 第106号 四、孫九郎城主より切腹申し 渡さしこと合戦の次第 小田部轟九郎使者役立派に討論 果して帰城、主君へこの旨遂一申 し上げれば、これまた短慮の義勝 殊の外怒っていうには「その方使 者として小場家へ赴き何ゆえかよ うなことあるペき、その不軌を見 聞してそのまま帰城するはこれ憶 病の振舞なり、その申訳のためそ の場を立ち去らず切腹を致すべし 」と日頃の恨みこのたびの振舞骨 髄に徹し額に青筋立て眼中うるみ ければ、奉行「然らば御免蒙る」 と手早く肩衣をはずし、腰の小刀 を抜かんとすればその場に居合す 和田越後、平沢丹後、孫根大学、 萩谷新左衛門専一同進み一応小田 部を取り押えその上主君へ種々諌 言申し上げれば漸く心もなをり穏 かになになったが、その恨みやむ ことなく小場は大山を、大山 場をそれぞれ討たんと計略す。そ の策略をつかさどるは孫根大学、 小田部孫九郎泰行であった。まづ 家中面々を召さる、お召に随へ一 番に馳せ釆たり合戦決定の誓書へ 連判をなす者第一に高久主馬之介 頓化度合戦記 ㈱ 桂村文化財保護審議委員 広 木 守治郎 櫓沢介之進、江幡尾張之介、大雄 信濃守、松本越中守、和田掃部、 綿引内膳正、武士主水正、平岡平 衛門、江幡民部少輔、藤井主水、 野上修理、岩崎越中、加藤木美濃、 大多喜次衛門、掛札甚蔵、平田勒 負、中村信浪、小泉河内、河内出 雲、川野辺兵部、大窪土佐、佐土 乎太夫、上杉長門、斉藤九郎兵衛、 瑞野谷源太夫、山崎新右衛門、小 瀬内蔵之介、徳宿蔵人、宮内佐衛 門、高堀庄太夫など召し寄り評定 なし、因幡守進んで言うには先頃 小場三河守細々の事より恨みを持 ち、ついに使者孫九郎へ難題申し かけ孫九郎立派に答へしもなを恨 みとし憑頃悪しき挙動をなさんと する気配さえあり、この際我々一 族心を協せ早速小場城に攻め入り 三河守義国の首を討取らんと思う ところなり。一座の面々思慮如何 と仰せられるに、一族老臣孫根大 学、大山大腰進んで申し上ぐるに 「思ひも寄らざる仰殊さら小場三 河守義国殿非稀(ひきよう) の遺 恨によって孫九郎に難題申しかけ 手討にせんと試みるのみ、いまだ 殺害にいたらず、これぞ細々の恨 高校生の船に 乗って 小林 修 第四回茨城県高校生の船は、各 学校二名の代表者九十七名が集ま って行なわれた。事前研修は七月 二十六日から三日間中央青年の家 で行なわれ、今年のメインテーマ 「心の握手」を決め、ゲームなど のレクリエーションをし蛙の人た といはう異心あって相切るときは 速かに合戦するが武の通、御隣城 と申し只今御縁達しとは申しなが ら御一門又格別の御家筋漸くこの 儀は御止りあそばきれ」と種々諌 言申し上げ、かれこれと評議区々な るところへ物見の偵人走り来たり、 次号につづく ちとの仲間意識を深めて、船上研 修へ備えた。 八月二十日から四泊五日でいよ いよ船上研修が開催された。旦止 港を十一時半に出港、北海道へと 向かう。二十七時間と言う長旅は、 台風の影響もあって大変に苦しい ものとなけ、8割ほどの人が船 酔いに悩まきれた。二十三日の牛 後、二時間ほど遅れて函館に着く。 やっと地面に足がつけると思った のに下船してからも地面が、しば らく揺れているのにはまいった。 バスで五稜郭を見学、青年センタ ーでは、青年活動についての詩話 があった。夕食後は、函館山から、 函館の夜景を見物に出る。丘の下 に広がる夜景は、さすがにせ界三 大夜景の一つに上げるだけの事は あって、すばらしいことといった ら言葉に表わせないほどだった。 二十四日、苫小牧港に着く、青空 がすばらしい、肌寒く感じた。八 時に下船して札幌市内に向う。開 拓記念館を見学するご】こは、昭和 43年の北海道百年を記念して作ら れた記念館で、一目で北海道の歴 史を知ることができる。開拓風景 などがあって、苦労して北海道を 開拓したのが、.よく理解でき勉強 になった。ここで札幌北陵高校、 旭丘高校の二つに分れて交歓会を もった。僕達は北陵高校へ行きま した。北陵は、創立六年という新 しい学校で、視聴覚教室などには、 テレビ六台、VTR、スライド、 教材提示装置など設置されていた。 各教室には、テレビ、スライドな ど設置されていた。歓迎会のあと は、クラブ活動にも参加して楽し く時をすごしま七た。帰りに頂い た、トウモロコシの味は、今も忘 れられません。こうした楽しかっ た北海道とも別れ、二十五日は、 岩手県の宮古港に着いた。浄土ケ 浜を見学、ここでも岩手県立岩泉 高校、宮泉高枚の二つに分かれて 交歓会をもった。その前に僕達は 龍泉洞を見学した。そして岩泉高 校へ行った。学校の周囲は、日本 のチベットといわれる高い山がそ びえていました。外の学枚にない 四学期制でした。ここでは、六人 のグループに分れて色々話し合い ました。方言は遠がっても同じ高 校生なんだすぐに、「心の握手」 ができるんだなと強く感じました。 入浴後、乗船して、班別にこの研 修の反省会をもった。なかには、 感激のあまり、泣き出す人もいて、 別れがおしまれ僕も胸のつまるの を感じた。二十六日、日立港に到 着。解団式のあと、一時に下船し て、僕達のrはまゆう丸Jと別れ をおしんだ。楽しかったこと、苦 しかったこと。それらを仲間と分 ち合い心の鷹手を求め合った、大 変素晴しい研修だった。 この素しい経験をこれからの生 活に生かして頑張りたいと思う。
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