広報かつら No.105 1977(昭和52)年 9月
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、b つ 報 広 (3)昭和52年9月20日 第105号 広 二、合戦の主因小 太祖呂義公より九代、正五位上 刑部大輔兼左馬頭源朝臣義教公嫡 男従四位上伊薇守兼左馬守源義信 公実弟に小場三河守義窮(庶長子) 並に義教三男石塚土佐守宗義公同 四男大山因幡守義孝公同五男義美 藤井氏等各々堅固に築城しこれを 守る。又それぞれ地名を姓とす。 ここに石塚城主土佐守宗義公より 九代の後石塚越後守義国とて仁義 忠真武技の大将というべき尋常信 心堅固にして神明の加護を祈誓し 又三宝に帰依し、頗る所領の民を 憐むこと世にも稀であった。貧民 救助は慈父母の子を愛育するごと く、すでにして今年義国公御年四 十オに至り椅子五オに成長する辰 寿丸の若君一人ゆい夫婦もろ共子 の少なきを悔い霊仏、霊社に祈頑 しことさら薬師如来へ御二万とも 御参籠あり大願を発し祈願をこめ らる。その仰にか時に永禄元年成 午春三月十二日夜奥方霊夢を感ず ときに震動して薬師如来の方より 光明赫々と輝き、右の御手に瑠璃 色の宝珠を持し間近く来迎す。こ れを礼拝す。聖尊来迎は日頃信心 の功徳誓願のあらわれとおぼしめ 桂村文化財保護審議委日月 木 守治郎 されるやその珠玉は奥方の懐中に 入ると見覚え御夫婦信心この上一 層増し程なく懐妊あらせられあく る正月八日に御産安らかに姫君誕 生あり、薬師如来の申し子なれば 名を瑠璃姫と尊称せらる。成長に 随いオ智、芸能諸人にすぐれなを 世人は姫君の容顔美麗なる事は唐 土の揚貴妃我が朝の松浦佐輿姫に も勝り、詩歌管絃の道は勿論、薙 刀、弓術、馬術の道まで通達し、 屋形の人々を始め御一族皆恐惧し てほめ給う。御一族の若殿皆原便 を求め艶書によっていい寄るもの 多かった。ときに大山の城主大山 義勝公の嫡子義則という者日頃何 か手生の花にも詠めんとおぼしめ す折節、家臣小田部出羽が妻は石 塚家の檜山主水が嫡女にてこれ幸 と玉章度々送りたまへども更に色 好き返書なくすて置かれたり。義 則公意を空しうして光陰を送りし ところ既に小場三河守嫡男城之介 (後に式部太夫義成) へ石塚家の 旧臣山形三左ヱ門という侍小場家 の家老前小屋左近介囲重なる者と 談示合せ、ころは天正二年春正月 御二万主君へ言上致す元来一門と 暗い殊に御器量世に越え給う人な ) 2 ( れば両家互に承引なされ此の段館 表へ相違し一点の故障もなく同年 二月上旬瑠璃姫君興人に相成り、 婚礼の儀式事首尾よく相済せ御夫 婦中睦間敷月日を送らる。明けて 天正三年姫啓懐胎なされ二月五日 辰の上刻(午前八暗から九時)若 君誕生あらせられ御名を朝日丸と 高称す。l家中は申すに及ばず御 一族御祝言の使者門前に市をなす が如く大山因幡守義勝公には内に 遺恨はありといいども、一族とい うところ若殿御誕生の喜びとして 使者立てべく老臣ともに申し付け そのとき小田部孫九郎奉行に仰付 られ奉行使者御請して種々用意仕 度相調へ小者を引連れ小場城にお もむいた。 三、小田部孫九郎泰行小場城へ 使者登城のこと。 小田部孫九郎奉行小場城へおも むかんと城外にて産着、衣裳共に 種々献上物を取揃へいよいよ麻上 下にて登城し、斯くの如〈披露申 し伝へければ、小場三河守も喜び 本席の次の間に出迎え席に進み対 面の上、山海の珍味種々御馳走下 され奉行も感激の余りに堪ず祝酒 数杯をいただき刻限に至り暇乞を いたし城を下って大山の館さして 帰る。城主因幡守老君及び諸侯の 面々各位に対し使者無事相済せし 旨申し伝へた。 その後程なく小場の若君朝日丸 病気となり重症に変り良医の秘術 を尽すも薬効なく、又諸寺、諸神 等更に効なく二、三日煩い苦痛の 様子もなくあたかも眠るがごとく この世を去りしかば、両家の欺き は勿論一門一族の落胆一方ならず 仏前御悔みの使者各所より登城あ り。大山家よりは又も小田部孫九 郎奉行御悔みの使者として小場へ 遺した。登城あって例の御悔み申 し上げれば小場三河守殿大いに憤 怒し威光猛々しく声震わせて「今 庸一門の大山家不吉なるか小田部 孫九郎を再び使者に立てすて置き 難く」 (説に子をたべ孫を喰う意 味という)今や手討にせんと座を 七〇歳以上のひとり暮しの方 に有放電話を無償でお貸しし ます。 桂村有線放送電話開局十周年記 念事業の一つとして、村では、ひ とり暮しの高齢者の方の孤独感を 解消する手段として、有線放送電 話を無償で貸付し、近所との声の 村有林監視 員に桂村赤沢 四五三番地 君嶋勇さんが 任命されまし た。 進み刀に手を掛けらる。時に孫九 郎泰然として恐れず悼からず「奉 行この身ここにあり吾が心青天白 日なり。」当主三河守殿に対し只今 の挙動何事なるか武士道に反し御 難題の申し分手討は聞き置き難く 速かに手討なさん」と腰の小刀に 手を掛け互ににらみ合い今や過し と待つところに老臣前小屋右京介 三河守殿に立塞り、主君を先に鎮 め近士若侍衆孫九郎を押へとめ双 方の憤激は漸くにして鎮りこの遺 恨は短慮少智小量より発し大にし て国乱の初めともなることなり。 速けいを客にし、心身の健康の保 持と生活の安定をはかるため「桂 村高齢者と結ぶ愛の有線放送電話 貸付条例」を敬老の日に公布いた しました。 ○貸付を受けられる方 七〇歳以上のひとり暮しで本 村に引続き五年以上居住して いる方。 ○有放電話の使用料は無償ですが 黒電話と接続する手数料は払込 むこととなります。 ○すでに有線電話に加入している 方は九月分から使用料が無償と なります。 ○希望者は左記にお申込み下さい。 桂村役場企画課 電話 桂局二二一一㈹ 有放 三一九-〇六
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