広報かつら No.103 1977(昭和52)年 7月
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(3) 昭和52年7月20日 広報かつ ら 第103号 去る六月二十二日、社中体育館 において高齢者教室を開設。三七 〇名の出席で、極めて盛況であっ た。この教室のねらいは、家庭や 社会における老人の立場と役割を 自覚して、明るい家庭づ↑りと地 域社会の福祉向上に役立つ老人と なり、かつ楽しい仲間づくり・日 常生活のあり方を学ぶことである。 会場には、錫高野のおばあさん 大字岩船石船神社境内にありし かも自然群生し地方まれに見る大 木で、大きいものは目通り周囲「 ・三メートル美もおよびその成長 は杉の大木に遣い上り開花期の壮 観は極めて美しく当氏子としても 有意義だった高齢者教室 開錮錮絹㈹藤の群生 大事に保護している。 石船神社は貞観年中の創建とい われ祭神は鳥石楠船神を祭る。又 の名を天鳥船神という。 この神は上古建御雷神に従って 出雲地方を平定に行き大国主神に 画家「金長ミヨさん」の風景画な ど数点が展示され、張り切るおば あさんに目をむけられていた。 一、村長・教育長あいさつ 開会にのぞみ、村長より生命の 尊さ・これからの生き方・本村発 展への創意と努力について。又、 教育長よりは、高齢者の心構えと 語り合いを通して楽しいひととき であってほしいと挨拶があった。 国土を奉る様問われたとき大国主 神は「私には不服はありませんが わが子事代主神の意向をきかなく てはならをい。あやにく狩にいつ ていまだ還らず」と答えたのでそ のとき天鳥船神を遣はしてその意 をただし仰の通りになったという。 後に建御雷神に従って東国を治 め鹿島神にゆかりある鹿島郷内の この地に祭られたという。 御神体は兜石と呼ばれる周囲十 五メートルの巨石で又そばに船状 の長さ六メートルほどの石があり この船形の凹みに清水をたたえて 干ばつの時こそ水をさらって神に 祈ると霊験があつて雨が降るとい う。又前に清流の岩船川があり中 に数十の船形の石がある。 戦前は海運の神として信仰があ った。文化財保護者議会委員 広木守治郎 二、講演 元茨城大学教授、塚本勝義先生ノ より「家庭・社会に於ける老人の 立場と役割」について、先生の体 験をとおして、私達のくらし方に ついて三つの柱(年令・生まれつ き・立場)を立ててユーモアを交 えながら話され、自己反省をした。 要は、私達は現在のなすことひ とつひとつに「全力を注ぐこと」 が肝要であることを学びとった。 三、アトラクション 午後は、同好の志による五人の 新生活運動 協議会発足 先月協議会の発足をみまして 推進委員の委嘱、続いて趣旨の説 明・役員選出・規約審議・具体的 進め方等について協議がなされた。 一、新生晴運動の目標 この運動は、地域・職場におい 特別出演、及び出席者等による民 謡・舞踊等が次々と披露され、魅 力ある実済がくりひろげられた。 終始真剣、そして、盛んな拍手 の中に幕は閉じられ、短かかった よき一日の流れを感じさせられた。 て生活意識を高め、生活様式を改 善する民間運動で、冠婚葬祭の簡 素化・明るい選挙・貯蓄推進運動 ・小さな親切運動・花いっぱい運 動・成人式運営等について、地域 住民を啓発していくことである。 本村でも、これに真剣にとりく み、心の底よりお互いが信頼し合 い、本当に住みよいむだのない地 域環境をつくっていきたい。 二、運動の進め方 私たちは、長年の習慣によって 一つの塑にはまっており、そう簡 単にできるものではありません。 従って、この運動を盛り上げて いくためには、地域住民ひとりひ とりが日常生活における問題を十 分みつめて、それを地域全体に及 ぼしてみんなで話し合い、地域住 民と行政が一体とをり、よりよい 向上策をめぎすことが肝要である。 目 地区会議及び部落懇談会 威在貞と委員合同で地区合議を 開き、新生活運動の趣旨の理解と アンケートを中心に話し合い、部 落懇談会の運営について協議をし た。部落憩談合では、特に冠婚葬 祭の簡素化について話し合い、そ の集約は推進委貞食事務局が行う。 そこでこの運動の趣旨理解を図 り、部落でよく話し合いを重ね、 よりよい施策を考えてまいりたい ので、ご協力をお願いいたします。 ノ
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