広報かつら No.102 1977(昭和52)年 6月
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(5)昭和52年6月20日 広報かつ ら 第102号 前号で述べたように旅行は珍ら しいことばかりで、一日がすぐ過 ぎてしまった感じです。サンフラ ンシスコを最後に見学も終り十六 日からいよいよ家庭生活です。 一人一人各家庭に入ることを思 うと、今までよりも不安が一層増 してきて心配になりました。エー ジン空港よりパスで学校言ント ラン・リン・ハイスクール) へ向 かう途中は心配と不安の連続でし た。各家庭の人達と学校で会うこ 私の見たアメリカ拗 水戸曇同三年 高 羽 宣 子 とになってました。 私を受けいれてくれた家庭は、 両親と一人娘の三人家族でした。 彼女は十八オで高校三年でした。 初めは、高校生以上に見え私は 彼女との応対を遠慮してました。 それと、生活にも不安を持ってま した。が、一日、二日と生活して いくうちに、不安も遠ざかり家庭 生活にも慣れ、アメリカの生活に 解けこんでいけるようになり、家 族の一員となりました。 両親も やさしく、又親切に私のことを世 話してくれました。 休みの日は、ホストファミリー と一緒に、海、川、ショツビング ハイキング、教会などに出かけ、 一部のアメリカ人と接して、過ご すことができました。アメリカの 若者は、みな動作が積塵的です。 それに何をするにも意志表示がは っきりしてます① 日本人とは、ど こか遠います。 私は、いつも軋るい雰囲気に固 まれていたのです。夜は、一家団 らんの一時で、ゲーム・トランプ などやったり、テレビを見たりし て楽しく過ごしまLた。又、その日 のでき事なども家族で言し合いま セントラル・リン ハイスクール・タイプの授業 した。 私は、生活していくうちに、わ がままになってしまって、何もか もやってもらうまうになりました。 (洗たく、食事の配膳などは、で きるかぎり手伝いました) その反面、日本から釆た両親の 手紙を受けとると、このときほど アメリカと日本を感じるものはあ りませんでした。それは、さびし さでいっぱいでした。 (私は、ホームシックにかかった のでしょうか・…・・) さて、アメリカの家庭のしつけ 方は、日本と同様できぴしく患い ます。子どもには、「自分の行動に 責任を持つ」ということが、しつ かりと頭の中にはいっているので す。夜遅く十一時〜十二時ごろま で遊んでいようが親ば、おこりま せん。 私もホストやその友達四人で、 映画を見に行き遊びすぎて帰りが 夜の十一時半を回り十二時近くな って帰宅したのですけど、親はお こっている様子などなく、笑顔で 迎えてくれました。 私は、とても心配したのです。 日本の親なら当然のことでおこる でしょう。アメリカの若者は、自 分の行動に責任を持っているとい うことに、私自身気がつきました。 さて、私のあこがれていた学校 生活ですけど、セントラル、リン ハイスクールには、小・中・高校 とあり、とても感じの良い学校で した。 彼女の運転によって一緒に通学 し、一日七時間の選択授菓を受け ました。体育の時間に、バレー・ バスケットなどやったり、一般授 業に出席したのも思い出の一つで す。 多くの人達と接触しましたが、 みんな気軽につき合ってくれまし た。アメリカの学生は、笑顔がい つもたえませんでした。 私は、家族の一員として生活で きたことをたいへん幸せに感じま した。私が、このアメリカで生活 して、一番感じたのは、人種、習 慣、言葉など違っていても人の暖 かい心さえあれば一つの「和」が できるということです。 私は、すばらしい思い出が出来 たいへん幸あせです。ごれからの 生活に生かしていきたいと思いま す。 (終) 昭和51年度たばこ消費税 51年度たばこ消費税は,茨城県へ総額で,80億8,845万円(県へ29億3,349万円,市町村 へ51億5,496万円)が納入され地方財政に寄与しています. 20本のたばこ1ヶを買うと26円55銭(県へ9円63銭,市町村へ16円92銭)■が消費税として 納付されます。 一たばこは機材内で耳いましょう一 町 村 名 桂 村 常 北 町 御前山村. 七 会 村 県 内 市 町 村 消費税 縞 11,165一千円 21,143千円 9,350千円 5,628千円 5,154,960千円 前 年 上ヒ 109.3% 110.9% 113.7% 115.7% 105.8%
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