広報かつら No.100 1977(昭和52)年 4月
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ら つ か 報 広 第100号 (7)昭和52年4月20日 桂運動公園造成工事施行のため、 勝田施設教導隊出沢三尉外十七名 が二月二十一目午前七時釆村、風 雨のなか、村長、議長外役場、地 元関係者の歓迎を受け起工式を行 いました。出沢作業隊長の命令一 下ドーザー、スクレパーの音も勇 ましく、荒ばくたる河原も一変、 荒整地も隊員の規則正しい、献身 的努力により、三月一日完了しま した。現在桐原工務店により、盛 土・張芝工事中でその後、附帯工 事、遊具の整備、草花、庭木の植 栽を行い今秋頃に完成する予定で /--∵ 自衛隊勝田施設教導隊により 権道動 公園起 工 桂村阿波山の住谷さんは永年に わたり民生委員児童委員として、 社会福祉の増進に寄与された功績 により、県知事等により表彰され ておりますが、この度さらに厚生 大臣から表彰状が授与されました。 このようを栄誉は本村でも数少い ことです。住谷さんは現在でも民 生児童委員として村民のよき相談 相手として活躍されております。 今後ますます村民の民生・生活安 定のため、努力されますことを期 待し言軍曹をお祝い申し上げたい と存じます。 厚生大臣の栄誉 住谷定夫氏受普 総面積二五・七三六2m 野球場二面 バレーコート三面 テニスコート二面 子供の遊び場 一対民と村政を結ぶ一 広報「かつら」の第100号発行を祝して 広報「かつら」は 創刊以来満十六年、 地道なねばり強い歩 みを穣み重ね、ここ に第百号を迎えられ ましたことは、大き をよろこびであって、 村民の一人として心 からお祝いを申し上 げます。 「百」という数、 それは古今を通じて いろんな意味に使わ れていますが、一区 切りβ「めでたさ」 を示すものであると も考えられます。 その意味に於いて、 第百号の発行は、長 いしかも厳しい苦心 ・努力の成果と今後 の伸展・充実に向っ ての一区切りをつけ たものであって、ま ことに意義深いとい わなければなりませ ん。 私は、第一号から 毎号毎号を興味深く 読みそれを綴り、大 切に保存して、この 第百号を楽しみに待 ち望んでいました。 第石号が発行され るに際して、第一号 ・\} ′一ll・I から丹念にめくって見ますと、紙 面に残されているさまぎまな移り 変りの一つ一つに「そうだったの か…・‥」「この人は今……」 「十六 年間というのは、短かいようで長 いものだ寧…‥」などなど、驚き と悲しみと喜びとが錯そうして、 限りをい感激を覚え、広報「かつ ら」 への愛着を一層強めました。 創刊号に、議会議長の広木香氏 (現村長)が「すなおに知らせ、 すをおに知る」と題して、広報「か つら」 の重要性を述べられていま すように、広報「かつら」が村民 と村政を結ぶきずをとしての大き を役割を担っていることを考える と、その使命の重大さをあらため て痛感いたします。 第百号という一区切りを契機に 「取材・記事・整理・写真」など 悩みの多い紙面づくりを見直しな がら、村民の紙面参加をめぎす意 欲的を取り組みによって、広報「か つら」 への関心と親しみを深め、 村民参加の行政を進める一翼を果 す力となることを期待して止みま せん。 ここに、広報「かつら」第百号 の発行を祝福するとともに、今後 への編集努力と村民一人一人の温 かい見守りとを切に念願いたしま す。 (佐川 清) - ○ - ○ - - ○ - ○ - 人事異動 四月一日付( )内は旧職 住民課長 広本番夫(産業課長) 産業課長 石崎由光(農政課長) 農政課長 欠次 修(住民課長) 保健厚生課長補佐兼保険係長 蛭町 務(厚生係長) 企画課長補佐兼企画係長 武井 正男(産業振興係長) 産業課長補佐兼産業振興係長 閑 節男(税務係長) 農政課長補佐兼農政係長 青柳 輝夫(農政係長) 税務課税務係長 小野崎繋郷(保険係長) 農政課地籍係長 小林 勝美(企画係長) 保健厚生課厚生係長 森木 百合(保健厚生課主事) 建設課建設係長 吉田 政治(農政課主事) 産業課勤務 片岡 徹男(保健厚生課) 保健厚生課勤務 三村 敏男産業儲) 同 浅野みさほ(農政課) 新採用 総務課勤務 同 同 同 皆川 紀明 八頁下段につづく 高所岡 堀 本
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