広報かつら No.98 1977(昭和52)年 1月
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、b つ ヽ■ ・カ 報 広 昭和52年1月1日(6) 第98号 幾多の思い出を残して昭和五十 一年を送り五十二年を迎えるに当 り桂村の皆さんへ謹しんで新年の 祝詞を申し上げます。 昨年はロッキード事件に明けロ ッキード衆議員選挙に終ったと言 えましょう。 桂本村は新進の広木村長を迎え いよいよ抱負の実現に当ろうとし ています。 其こで私共の教育の面で少しく 語らせていただきます。 先づ社会教育の中心機関である 中央公民館建設が本年の事業とな りましょう。これは前村長の残し た事業でありまして各機関が県下 モデル公民館を既に視察しており その検討の段階にあります。 本村に適した本当に活動の出来る 立派なものにしたいと意気ごんで います。これは桂総合グランドの 完成と相待って本村の社会教育の 面で大きな働きをもたらすものと 確信いたします。 次に学校教育について言えば誰 でも今日の我が国の学校教育は異 常と映るでしょう。その原因は結 年頭の御挨拶 教育委貞長 清 大 森 論を言えば学歴尊重にありますが あまりにも過激であります。NH Kのテレビドラマが二軒の家庭を 対象にして毎朝「火の国」を放送 しています。 そして非常に学歴を重く見る銀 行家の家庭と全々気にしない造国 家の家庭の交流を物語ってくれま す。此処に登場する若者達に共感 を覚える方々が多数あるでしょう。 阿蘇の自然は此等の若者達を暖 かく包んで展開して行きます。 問題に立返って言えば今や学校教 育に「ゆとり」を与えようとして います。前三木内閣の文部大臣永 井先生は戦後の大臣が政某出身者 で教員組合と勇敢に喧嘩はするが 少しの歩みよりもなかったのに比 較して民間人であり進んで日教組 とも話合い、事業は大きい事は出 来なかったとしても正に教育家で あり近来の秀れた文部大臣である と高く評価いたします。その大臣 が去年十二月に三カ年をついやし た教育課程審議会の「教育課程の 基準の改善について」 の答申を受 けて、▼「二十一世紀の世界に生き る日本人の礎がこれで出来た山と 審議委員に東を下げてその労をね ぎらったと新聞は報道していまし た。 その第一項に「ゆとりある、lし かも充実した学校生晴山とありま すが本村教育者諸君はその過度期 的対策、積極的に研修に務めその 専問職としての資質能力の向上に 努めつつあることは感謝に耐えま せん。 次に幼児教育について言 えば相当局、村議会、教育委貞会 及び村民の絶対多数の意志として 公立幼稚園の設立の件があります。 本年はその準備期間とし、来年度 にその設立を期待いたします。 以上簡単に教育施設、其の他に ついて申しましたがいづれにして も各位の絶大なる協力と御指導を お腹し村民の皆様の御健康と御多 幸をお祈りして御挨拶といたしま す。 種 村 基 本 計 画 『明るい豊かな緑の村』 の実現をめぎして.′ 桂村長 廃 木 香 わたくしは、かねてから村民の 対語と参加による村政を提唱して まいりました。豊かな郷土種村を 実現するために、何ををすべきか .村民は村政に対して何を望んでい るのかということを常に考えてま いりました。 村政を担当するものとして長期 的展望にたって種村の将来像を描 き、この目標をめざすため種村総 合計画審議会の審議を得て向う五 年間の村政の指針として「桂村基 本計画」を定めました。 今後は、この計画にもとずいて 村政を運営し、真に村民ひとり一 人が人間性豊かな生活ができるよ う福祉の向上と、水と緑に恵まれ た環境を整備し「明るい豊かな緑 の村」 の実現をめぎして情熱と勇 気をもって施策を実行するつもり でございますので村民のみなさん のご理解とご協力を切に望んでや
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