広報かつら No.94 1976(昭和51)年 9月
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ら つ ヽ▼ カ 報 広 (6 第94号 国々のいろいろ ② 人種間題 パリのルーブル美術館は毎日各 国の参観者で賑わっていますが、 入口付近のみやげ物売りは殆ど黒 人の子供でした。ロンドンのハイ ドパークには森あり林あり弛あり 馬場ありで、その緑と静かさで自 分が大都市の真申に居ることを忘 れる様ですが、その中で又目につ くのが黒人の子供達でした。ベル ギーのブリュッセルで見た道路標 識には国内二つの人種のことばフ ラマン語とワロン語の二通りの文 字で書かれ、又スイスは永世中立 の国として有名ですが、それはド イツ人とイタ.リア人フランス人の 三者でつくった国だからです。そ れだけに学校の教科書も、国の紙 幣もすべて三ケ国語の三通りで書 かれていました。わが国の一億一 千万人はすべて日本人です。国内 が一つの言葉だけで通用する国は 他に余り例がありません。これは 色々の点で日本を有利にしました 然し永い間の水入らずの生活は日 本人の国際感覚を弱くしました。 これは私達が今後早く改めなけれ ばならない大きな問題です。 海外リボ ート 囲 仰 二 トイレチップ これは便所拝借料のことです。 こんな紙上でトイレの話とは大変 恐縮なんですが、随分変っている ので書いてみることにしました。 ヨーロッパの公衆便所は有料が多 くて番人のような人がいます。パ リのモンマルトルの丘の坂道にあっ た便所では五五サンチーム (約三 五円)、ベルサイユ宮殿では三〇 サンチーム、ルーブル美術館では 無料でした。オスロ市のカールヨ ハンズ通りの便所はとてもきれい で四〇オーレ(約二二円)、イタ リアでは番人がガメつくて受皿の 中の硬貨から小額のものを除いた りします。小銭をしではヨーロッ パの旅はとても出来ませんでした。 ロンドン イギリスは近代資本主義を最初 に始めた国です。だから最も新しが りやの筈なのに、国民の性格はそれ とは反対に古いものを誇りとし、苦 からのしきたりの伝統を尊ぶこと で知られています。市内を走る車 は大正時代を思わせる様な箱型で 黒一色のオースチンです。日本な らとうにモデルチェンジですが新 しい車種や色とりどりの車は殆ん どありません。建物でもバッキン ガム宮殿やロンドン塔、ウエスト ミンスター寺院は云うまでもをく 証券取引所やイングランド銀行、 ロンドン大学など何百年の年月で 煉瓦も黒く汚れていましたが、然 し古い様式の中にも広大で堂々と したその姿は、たしかに大国の古 い歴史と共に重厚な国民性を示し ていました。 芝と大木 あちらでは畑地の外は地面を丸 モンマルトの絵か 高 根 平賀 真美 正 文 慶 弔 八月分の出生 大字名 氏 名 阿波山 小松崎息利 下阿野沢 船橋 理恵 阿波山 浅野 学 出しにしをいで芝生にしています。 日本より雨が少ないので草丈もあ まり伸びないのです。芝生と共に 美しいのは大木の茂みでした。町 に公園に更に田舎でも適当な処に 適当な木蔭があり、そこにべンチ をどがあって、誰もが静かに憩い の場を楽しんでいるのです。こう して古い樹木が大事に保護され、 又家々の窓辺にはゼラニウムをど の鉢がおかれていて、いかにもゆ かしい民朕的優雅さが感じられま した。 (次号へつづく) ≡=あなたの声を広報に主三 「広報かつら」 は皆さんの、ご意見、ご希望 文芸をどどんを事でも結構です。ご投稿をお 待ちしております。みをさんと村政を結ぶか け橋として是非お考えをお聞かせ下さい。 (企画課広報係) 保護者 三 夫 渉一 書 九月一日付( )内は旧職 総務課長 高 瀬 三木男 (建設課長) 企画課長 小 林 忠 昭 (教委事務局長) 建設課長 桧 山 忠 雄 (企画課長) 教育委員会事務局長 鯉 渕 武 栄 (共済係長) 死 亡 大字名 氏 名 北 方 鬼沢造酒男 赤 沢 石崎 勝利 下阿野沢 小田部芳美 阿波山 志保沢 明 赤 沢 小島一点 上阿野沢 木村勢津子 錫高野 全長 美幸 人事異動 英太博 刀 治麿美 一四 六年 五二四七令

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