広報かつら No.93 1976(昭和51)年 8月
6/6
止っ つ か 報 広 第93号 国々のいろいろ 州 (お国がらお人がら) 初めに申し上げました様に、世 界の各地は風土が違うだけでをく そこに住む人々の言葉や生活習慣 ものの考え方が常連います。人々 はお互いにそのことを理解し合わ ない限り、世界平和への道は困難 だと思います。新聞やテレビなど (マスコミ)の目的もそこにある のでしょう。 国際河川 モスクワの中心(赤の広場)すぐ 左をモスクワ川が漁れている 海外リボ ) - ト 四 ( 伶 二 目本を流れる川は勿論日本の川 です。ところが外国の場合はそう はいきません。ヨーロッパのカて いの国(本国)は日本より小国で す。昔から水に流すと云へば気ま ずい関係を仲直りすることでした。 雨の多い日本では、昔は少しぐら い汚物を流しても自然の浄化力で 大した問題にもなりません。然し 国境を接した大陸国では、一つの 川でもいくつかの国を流れるので 常に外国への影響を意識しなけれ ばなりません。日本はこのことだ けでも水入らずですね。 日曜日 どこの国でもこの目はレストラ ン (食堂)を除けばすべて休業で した。商店は平目でも五時で閉店 ですから、夜店を流して買い物と 云うわけにはいきません。然し大 きい店は大てい八時迄はショーウ インドウだけ開けておくので、ここ で品定めをしておいて明日買う外 はをいのです。ローマをどは昼休 みが非常に長くて、三時にならな いと店は開きません。こんをわけ で毎日研修で忙がしい私には、シ ョッピング(買い物)とはまこと に不自由なものでした。 国 旗 観光国のスイスでは到る処で赤 地に白十字のきれいな国旗が、ま わりの緑に映えて美しく印象的で した。海外ではどこの国でも役所 や学校のような公館には毎日国旗 が高々とひるがえって、民族の誇 りと自国の文化を示しているかの ようでした。地続きで外国と接し ている大陸国だから、常に他国の 人の出入りが多いせいでしょう。 それにしても私達は、戦後日の丸 に対する妙な感情を早く忘れたい ものですね。 モスクワの店で モスクワの町はずれには十数階の 堂々とした新興アパートが立並ん でいて一階は店舗、この店をキオ スクと呼んでいました。中には東 京の高島屋くらいの高級な店もあ ります。ここでの買い方が変って いたのでご紹介しましょう。買い たい品を決めたら、店員からカー ドヘ品名と値段を記入して貰い、 これに向うのカウンターで代金を 仕払い、領収済のサインをして貰 います。これを又前の店貞へ示し て初めて商品を受取るのです。随 分面倒を仕方だと思いましたが、 店員はそれをテキパキと処理して いかにも都会風でした。 光を求める心 七月末と云うのに北欧(デン々 郵便局からの お知らせ 留守のため 配達できなかった郵便物 書留郵便物や郵便受箱に入らを い大型の郵便物をどで留守のため 配達できなかったものは郵便局に 十日間保管します。この場合、留 守のため配達できをかった旨を記 した「不在配達通知書」を郵便受 箱等へ入てありますのでその通知 書に書かれている期日までに郵便 局の窓口でお受け取りにをるか、 再配達の希望月日を郵便局に連絡 してください。窓口でお受け取り にをる場合は「不在配達通知書」 を正当受取人であることを証明す るもの「身分証明書、運転免許証 (健康保険証など)と印鑑(書留郵 ーク)の陽気は丸で秋でした。婦 人は朝夕合オーバーを着て、澄ん だ空の青さは日本の十一月のよう でした。家々の南面にはみんをガ ラス窓のサンルーム(温室をも っています。夏の短い北国の人々 が光へあこがれるのです。公園で はそこの芝生あそこのベンチで、 それこそパンツ一つのお嬢さん達 までがヂッと静かに日光を浴びな がら短い夏を情んでいました。日 本に恵まれた長い夏は本当に有り がたいですね。(次号へつづく) 人事異動 七月二十五日付退職 岩船診療所医師 笠 井 政 司 大字名 高 根 下 坪 赤 沢 慶 弔 七月分の出生 大字名 氏 名 赤 沢 峯島 崇 錫高野 三村祐美子 上阿野沢 大貫 竜平 阿波山 星野 雅江 下阿野沢 矢次 智 便物をお受け取りになる場合)を 御持参ください。 また、再配達を希望される場合 の連絡方法は「不在配達通知書」 の所定欄に配達希望日を記入して ポストヘお出しくださるか、お急 ぎの場合は電話で連結してくださ い。御旅行などで長期間留守にさ れる場合は、あらがじめ郵便局に その期間を連絡していただくと最 高三十日間郵便物を保管します。 小秋加 堀山藤氏 は あ み名 ま き の 輝博r数枚保 護 光司男一着 七五九年 五五五令 猛
元のページ