広報かつら No.91 1976(昭和51)年 6月
6/6
ら つ か 報 広 第91号 6 農村の人々(南インド∵ 南インドの人々はドラビダ族と 云って、古くはインド全域に住ん でいた原住民です。顔も手足もチ ョコレート色をしていますが、お となしく勤勉で、仏教をつくった 釈迦も彼等の先祖です。仏教は人 々の平等を説く有難い教えですが 今では南インドの外、日本やビル マで栄えています。北部のインド ではその後(三五〇〇年前)ヨー ロッパから侵入したアーリア人に 取って替られ、彼等のつくったバ ラモン教のため仏教の教えとは正 (マイソール近郊) 反対に、人々の生活や職業で上下 を区別する社会がつくられました これが現在のインド数(ヒンズー 教)です。だから国内には到る処 に仏跡が多く、その広大な規模、 結構の壮琵さには強くうたれまし た。然しそれとは対照的に寺のま わりの民家はまことにお粗末で、 これ亦驚きでした。 インドが今日、櫻爆発実験の近 代化を進めながら、一方では五億 の国民のうち三億といわれる家の をい鹿足で流浪する下層民が巷に 溢れ、たとえ自分の家があっても とても形容も出来をいほどの貧し い藁小屋の生活を見た時、私はこ の国の政治家たちの心を理解する ことが出来ませんでした。たとえ ばマイソールの町に近い農村で、 農夫らの脱穀調製の様子を見た時 十数人の男女が先祖から教えられ たままの仕方で、非能率を作業に 黙々と励んでいる姿を見て、ふと 我が平安時代の昔、貴族に仕えた 賎民とはこんなものかと想像しま した。彼等には器具の改良も、方 法の進歩も何もありません。こう したインド民衆の悲しい運命を到 る処で見ましたが、意外に彼等自 身は少しも悲しんでは・いをいので す。 農民の家は泥囲いの上にニッパ 椰子の屋根、土間の隅に鍋が一個 履物も夜具もない着たまま土間に ゴロ寝です。インドには乾期と雨 季があって冬がなく、一年中君た きりの生活が出来るのです。部落 の中には必ず少数の地主の家があ り、可なりの文化住宅で日本の中 流程度、衣も食も農民とは雲泥以 上ですが、両者の間には少しの違 和感もないどころか、当然がある だけです。どこの部落でも目につ くのは小供の群と青年の数でした。 殆ど洗足の彼等には学校もアルバ イトもないのです。早朝の列車の 悪から度々見た真の畑につづくま る人影、それはどこでも見た異様 な景物でしたが、彼等の住居には 便所がないのです。 デカン高原は果てしなく広い赤 土の大陸で、井然とした地割はよ く耕起されたまま、乾季の佃には 作物も人影もありません。水田地 帯に入るとハネ釣瓶式の揚水や、 足踏車の滴準牛の水汲みをど、 いかにも東洋の普と云った風景で した。 さて我に返ってみると、ああ自 分はR本人だったのだ、との意識 と同時に、日本と云う豊かなよい 国に生れた幸せを、しみじみとか みしめる実感が涌いて釆ました。 (次号へつづく) 昭和五十一年度 日赤募金のお礼 五十一年度の赤十字社貝(募金) 増強運動は五月を運動用間として 推進いたしましたところ皆様方の 深いご理解とご協力によりまして 五十五万七千四百七十八円の好成= 績を収めることができました。こ れらの尊い弄意の結晶であるお金 につきましては日本赤十字社茨城 県支部へ送納いたしました。県支 部とい笑しましては日赤本社の方 針に従って災害と救護活動や社会 福祉事業等巾広い事業に使用いた します。お蔭をもちまして日赤の 業務は順調に進展いたしておりま す。これ偏えに皆様方のご協力に よるものと存じ心よりお礼申しあ げます。 土地売買等の契約を するときは届出を 国土利用計画法の規定によって、 定められた面積以上の土地の売買 などの契約(予約、または代金を 払って使ったり借りたりするとき も同じ)をするときは、売る人も 買う人も(貸借する人も同じ)も 土地の売買などの予定価格や利用 目的を語いた届出書(用紙は役場 にあります)を村長を通じて知事 に出さなくてはなりません。 届出が必要な面積は一万平方メ ートル以上の取引とされています が、開発業者が多数の零細な土地 所有者から用地を買収するときは、 一つの取引がこの規準以下でもま とめると、この規準以上に当はま る場合は届出が必要です。 届出をした日から六週間は契約 を締結しては李bない規定があり この制限に違反しで契約が締結さ れた場合には罰則規定があります ので、規定面積以上の土地取引の 際は必ず届出を願います。 (企画課) 粟 錫高野 阿波山 阿波山 阿波山 赤 沢 高 根 死 部落名 錫高野 阿波山 下 坪 下 坪 弔 慶 五月分の出生 部落名 氏 名 広木 悟 鯉渕麻里子 大畠 仁美 小林 史憲 倉橋祐美子 君嶋 美紀 小林かおり 亡 桐高篠蛭氏 原瀬田 町 克息 ぎ と 名 夫吉の め 隆義 保 進栄護 夫光 一老 ▲ 均進守 五八七九年 九五三令
元のページ