広報かつら No.91 1976(昭和51)年 6月
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ら つ ヽ▼ ・カ 報 広 (3) 第91号 阿波山宿北端の高根山人口を入 って進むこと約五〇〇米、右に左 にカープした坂道をのぼりきって 間もなく、道路の左側に「桂村指 定史跡毘沙門塚古墳群」と書いた 立看板が立っている。そこを左に 折れて小道を少し行くと、両側に (二貢よりつづ√き) 地方道路譲与税 地方道路譲与税の五分の一額が 今回の改正により市町村に対して も当該市町村が管理する市町村道 の延長及び面積にあん分され譲与 されることになった。 県税関係の改正 イ、事業税 個人事業税の事業主控除が一八 〇万円から二〇〇万円に引き上げ 種村指定 史跡めぐり 艮沙門塚古墳群⑦ 開けた畑の中に点々と小さを嫁が 見える。 これが史跡指定の古墳群である が、今は準早に覆われ、石と土を 寄せ集めた何の変哲もない単をる 塚で、その気にをって見をいとつ い見落してしまう。明治の中頃か ら物珍しさに殆んど掘り荒されて 中味はすでに空にをっているらし い。ただ昭和になってから直刀二 振とつぼ(須恵器)が発見されて いるという。 今から凡そ千二-三百年前、人 々は農耕を生業とするのに適した 場所を選び、屋根だけを地上に設 けた竪穴住居を作り、米などを蒸 じて食べ、土師器・須恵器などを 食器として使っていた。須恵器は ちれました。 口、不動産取得税 新築住宅に係る課税標準の算定 上町控除額が二三〇万円であった のが三五〇万円に引き上げられ、 晒和五十一年一月一日以降の取得 する新築住宅から適用されます。 ハ、自動車税 昭和四十年度以来据置かれてい ましたが、今回の改正により、お おむね三十%程度引き上げられま した。 ろくろで成形し登窯で千度をこえ る高温で焼き上げたものである。 当時、男は筒袖の衣と広いズボ ンの形をした袴をはき、髪は左右 に分けて束ねた「みずら」にし、 女は衣とスカート状の裳を着け、 大きな髪を頭上で結び、男女とも 勾玉、管玉などを首飾りとして愛 用した。 武器としては、鉄製の鎖、甲曽 直刀、革製の盾なども使われた。 この時代(古墳時代)になると 世襲的に支配権を受け継ぐ豪族が でき、これら支配階級の墓が今に 残る古墳である。その中には必ず 副葬品があり、それは歴史を知る ための極めて貴重な資料で、ここ の古墳も若し今頃まで保存されて いたら、或いはこの地方の当時の 模様がもっと詳しくわかったかも 知れをい。 粟野春慶塗 国の保存 粟野春慶塗は、飛騨(岐阜県) の高山春慶塗、出羽(秋田県)の 能代春慶塗とともに日本三春慶塗 一つにあげられる、その中で、こ の「粟春慶塗」が最も古く、今か ら四百余年前延徳元年正月(一四 八九年)稲川山城守義明が苦心の 結果発明したもので、これをその 子太郎左衛門昌忠に伝え昌忠の子 エ芸技術に が、本場粟野春慶塗の元祖といわ 源義忠は、佐竹氏の支流大山因幡 守に仕え桂村大字粟(旧粟野村) において、祖父義明の発明した方 法により塗物の業を営んだ。これ れている。昌忠の三男義次は、佐 竹氏が慶長七年に秋田に国替にを ったとき、大山氏に従い出羽秋田 に移り春慶塗の技術が秋田に伝わ り、のちに能代春慶塗の初めと伝 えられている。粟野村においては 養息の子太市郎昌義、その子息一 郎糞昌と、相継いでその業を経営 し、義昌の子昌英にいたり、阻先 義息の遺した記録によってさらに これを研究し、その技術の巧妙を 極め名声大いに揚る、ときに、元 禄十二年藩主水戸義公紀州本場よ り塗工の名手を招き、水戸神崎寺 において昌英の子与兵衛正義と競 技せしめたところ正義の.妙技には さすが紀州の名工も及ばず、その 違いははなはだしかったため義公 は紀州塗を排して粟野塗を用い、 正義に「指物塗師御用達」を命ぜ られ、以来、伊三郎昌光、忠四郎 義隆、忠吾篤昌、忠吾篤寿と代々 藩の御用達を命ぜられ、又藩にお いても大いにこれを奨励したため 販路も益々拡張し名も世に大いに 知られるに至った。春慶塗の美し さはいつも変らない、木目ち塗ら れた漆がきらきらとこはく色に輝 き、渋味の中にもはなやかさがあ り、うるしを通して木目がみいる ことである。又、三の地方で生産 される桧の中でも一番堅い石桧で 作られた盆や重箱は、トクサで丹 念にみがくと木目が鮮かに浮び上 がる。そこえ薄めたうるしを塗る そして透漆を塗り乾燥させ、また うるしを塗る、透漆から上塗り、 花漆をもって仕上げ塗りと最低七、 八回から十数回も漆を塗る。原料 の漆は、赤沢辺の生漆を使い、石 桧は、那珂郡常子辺に産する板を 用いるのが最高で又、その漆は、 生漆を日にて数度混合すると「黒 め漆」とをる、その漆に荏油五令 を加え、干梅拾匁を水にとかしこ れを加え混合して作ったものを塗 るのであるが、この「梅ず」を混 合することが「秘法」で、漆のむ らを防ぐために使うとのことであ るが、漆の聖さ、泡立の具合など 「カン」一つ。で見分けるが、こ れが出来れば一人前とのことであ る。刷毛は馬の尻尾の毛が最適、 「コシ」があるからでこの尻毛で 最初は軽く、徐々に強く塗ってい くが、上塗りごろからは塗るとい うより塗りつける感じで塗るのも コツ。粟野春慶塗も、明治維新後 ようやく衰退能代塗りの名のみ世 に高まり、本場粟野塗は世の人々 (四頁へつづく)

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