広報かつら No.89 1976(昭和51)年 4月
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し \ . ら つ か 報 広 -//-、 第89号 4) 桂土地改良区は昭和四十一年四 月九日設せされ、種村大字赤沢よ り下咋迄(常北町の一部を含む)の 田、畑二百七十七ヘクタール余 の受益面積をもち、地区上流赤沢 地内那珂川右岸に揚水機場を設置 し、八年余にわたり区画整理、用 排水路の整備工事を実施してきた。 この完成により、これまでの用排 水難を克服し更に近代的な農業機 械の導入、省力化の実現がなされ この事業完成を記念して本村阿波 県営ほ場整備事業桂地区 竣工完成を祝って 田 た れ さ 備 整 記念碑を建立 山地内国道一二三号線沿いに記念 静を建立し、又二月二十八目桂中 体育館に於いて竣工式を行いまし た。 事業の概要 用水施設=赤沢揚水機場新設によ り那珂川から取れ、全地区の八〇 %の面積をかんがいする。また江 川改修により下げ揚水機揚が設置 された。(用水源は次表のとおり) 用水路=那珂川区域、幹線用水路 コンクリート延長四七〇五メートル 支頗用水路じ字フリユーム延長 六、一八七メートル。桂川、岩船川 区域、支線用水路じ字フリユーム 延長二、八二五メートル。根小屋川 江川区域、支線用水路じ字フリ ユーム延長二、五三〇メートル。 排水路=主要幹線排水路(次表の とおり)。 道路=新設・改修された道路はす べて村道編入認定を行い、村建設 課において舗装工事施行中である。 以上のごとく昭和四〇年度から 着工された本事業は完了し、当初 の目的であった農業構造改善、河 川改修がなされ経営の安定と機械 化農業が確立されたが、事業完遂 までには相当の困難と労苦があっ た。宿願である那珂川からの取水 に伴う下流関係市町村の同意や改 良区設立に至る関係者の尽力、工 事並びに換地作業同意とりまとめ 等、県をはじめ関係役員、受益者 と幾度かの協議を経てこれを行李っ ことにをり、機械化に対応できる 圃場に整備された次第である。現 在、種村に於いてはAI区に隣接 する町野沢地区の畑地四〇ヘクタ ールについても第二次農業構造改 善事業をもって行い、昭和五一年 度からは桂川の上流岩船地区の団 体営土地改良事業が着工される予 定である。基盤である圃場整備を すすめをがら地域農業の近代化を 図りつつある。 関係者氏名=理事長・大森三千三、 理事・平賀義厚、広木香、広木昇、 広木正義、菊地利平、所秀雄、 関毅一、森木信夫、小林情、平山 近、杉山宗一、木村一中、小林一 郎、桐原三雄、清水恒雄、安藤弘、 綿引富雄、監事・寺山亥之蔵、 小田部道三郎、森田種正、前理事・ 所幸一、所孝治、高堀明、三村 暗、船橋泰一郎、仲田昇、大越猛 彦、加藤慶康、大森藤和、入野信 一、秋山正、加藤木誠、尾又道男、 鯉渕光紀州、大高秀男、海老根義 夫、関信、高士崖雄、掛札美代寿、 和田信義、峯島l、前監事・船橋 行雄、長谷川幸、小林三次、勝村 三郎、大津通晃、宮本武。 墓園共栄 今ここに天地の恵みと人の和が実 り、一千余の農家がはるか遠く祖 先からの宿願であった那珂川の水 を利用する土地改良が建設省の管 理する桂川及び江川改修を伴い耕 地三百余ヘクタールの県営圃場整 備事業として総事業費四億一千有 余万円の巨費と八ケ年の歳月を要 して頗工した。そもそもこの地域 は東に那珂川、西は山岳の中間に 横たわる帯状の耕地であり、用排 取 水 源・ かんがい面積 名 称 備 考 ヘクタール 那 三河 川 195.4 赤沢揚水機場 β600X250キロワット 桂 川 20.5 阿汝山大堰 洞作溜弛を含む 根古犀川及 び亀田溜盲也 10.8 高 久 堰 根古屋川亀田用水を含む 岩船川 5.2 白山溜弛 4.5 岩の沢、戸蓮沢用水を含む 江 川 下士下揚水機場 計 238.7 水路は皆無と云うべく、而も耕地 は不整形にしてその維持管理には 膨大な労力と困難がつきまとって いた。これを県と地元が改良する ことに決し国の採択を得て、昭和 四〇年十月赤沢地内那珂川右岸に 揚水機揚を設置することに始まり 翌同四一年度は継続送水管埋設、 上阿野沢白山道より北側二四ヘク タールの区画整理、同四二年度 は白山道南より古城橋まで四二ヘ クタールを実施、同型二年度は阿 波山、粟、北方一円六三へククー 河 川 名 延 長 構 造 備 考 メートル 根古屋川 3,228 柵■渠 桂 県土木部施行 川 2,500 復断面低水部ブロック護岸 江 川 2,047 堀削堀込方法 県土木部施行 新 堀 川 700 柵渠 赤 沢 川 680 柵渠

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