広報かつら No.87 1976(昭和51)年 1月
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、b つ 報 広 第87号 新春に当り村の皆さんへ謹んで 年頭の御祝辞を申し上げます。 続いて私の考の一端を披露して 御批判を乞いたいと存じます。 今日ほど各家庭が教育に熱心を 時代は未だかつてをいと思います。 これも明治以畢の我が国教育制 度のもたらしたもので戦前には何 処の農村に行っても今日のように 子供の勉強部屋をどなく、机も一 人に一つづつある家庭は少なかっ た。 夜をどは一つの電灯の炉端で父 親は藁仕事、母親は縫物、子供は 本を読むといったほゝえましい光 景が普通であった。只今は本村で も大学卒業者や入学者が多数あり ます。 その入学の目的は本人も両親も よりよい就職を目指しているもの です。従って本人の希望が無視さ れ、学生に学習意欲がをく、先生 が信頼されず、教育が機械化され て、思わざる事態が学園内に突発 するのだと考えます。 人口一億一千万を有する我が国 に凡ゆる分野で青年の活躍する揚 年 頭 の 辞 教育委貞長 大 森 がある筈であり、十年後の我国は 或る新聞社の調査によると数名に 一人の大学卒業生が出来ると言い ます。その結果は単をるサラリー マンでをく筋肉労働の大学卒業生 も考えられます。 私は此処で自分の子の将来はそ の個性にあった就職を考えること で、大学教育のみでないことを強 調したいのであります。 去年の年頭の挨拶にも申した通 り北部にあと一つの高校の建設を 夢みるものであります。 高校の教育は今日ではその進学 率が中学よりの入学者が九十%を 超えています。高校の教育が単を る大学の予備校でをく義務教育の 高等普通教育と専門教育の出来る 理想的を学校を地域が偏よってい るからこそ費用を地元に負担させ ずに建設されてよいと思っていま す。 本村小中学校の現状は各村民の 皆様の陰に陽にの御助力と各学校 長及び諸先生方の日頃の研摺とに その成果を収めつゝあることを委 員会一同感謝して居ります。 各学校の施設設備も一応整備さ れてあります。強いて言えば小学 校の図書の充実に対して中学校が 不十分であります。理由は各小学 校ともに寄付によって出来たもの でありますが中学校は公費により 年次計画でも立てゝ整備したいも のであります。又、北方小学校に は村の簡易水道の開通の結果プー ルが設置され、これで全村の各学 校にプールが完備される予定です。 幼稚園の公立校建設の要望は多 く、常北・御前山の設置によって 本村のみが取残された感がありま すが本年は沢山小学校の建設によ って村財政に余裕がをく次の年次 には是非実現したい覚悟でありま す。 社会教育面で言えば本年度事業 に取入れたいものに綜合グランド の建設があります。 健全を青少年の育成のためにも スポーツの殿堂を設けてこの美し い山河に囲まれた郷土に若い後継 者の集いの場所としたいと考えて います。 以上あまりにバラ色の理想ばか り述べたきらいがをきにしもあら ずでありますが、どうか村民の皆 様の後援のもとに右の事項の実現 を努力いたしたいと思います。 最後に村の方々の御健康と御活 躍を期待しまして御挨拶といたし ます。 新議員 十六名誕生 任期満了に伴う桂村議会議員一 般選挙が昭和五十年十二月二十一 目投票され次の方が当選いたしま した。 得票数 三八二、八四七 二九九 二八六 二七九」ハ八四 二七三、六六九 二六三、六四五 二六一 二五二 二三七 二三六 二三二、一五二 二三二 二一七 二〇五 二〇二 一九三 .当日の有権者数 投票率 九四・九% 女男 九四・二% 九五二ハ% 菅宮開高広広広桐三仲 川 本口 土木木木ノ京村田 仲田 武一 青木 茂 大森 藤和 君嶋 守男 加藤木盛隆 岡本 次男 五〇四三 当選者 か 守正三好 お勝昇治進堆夫葦 る 郎 新春たこあげ大会のお知らせ 日 時 1月15日 午后1暗から 場 所 農 協 集 荷 場 前 多数参加をおまちしております。
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