広報かつら No.84 1975(昭和50)年 10月
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、.つ つ 報 広 第84号 工事着 多年の懸案でありました、岩船 地区の簡易水道事業は、昭和四十 九年度より二カ年事業として、計 画いたしましたが、国の需要抑制 に直面し三カ年に計画を変更し、 昭和五十一年七月未完成を目標に 諸種の工事を施工いたしておりま す。施設の大要を見ますと、取水 井戸(深さ四〇こを赤沢皇郡に掘 り、これより水中モーターポンプ 種村指定 史跡めぐり 桂村簡易水道(岩船地区) 孫娘城跡 ② 々 進む にて取水し、導水管(径125m)によ り、第一加圧場、第二加圧場を経 て、仲岩船の浄水場まで送水し、 そこで、滅菌、ろ過し完全なる浄 水として、配水タンクに貯水し、 自然落差方式により、配水管を経 て各給水区域内に給水するもので す。各戸の流末工事については十 月末頃より設計する予定です。以 上の工事を昭和五十一年七月未ま 孫根城揖今「御城」というとこ ろで、大山氏二代大山義道の築い た城で、義道館ともいわれる。 義道に二人の子があり、長子を 義兼、次子を義貞という。義兼病 身のため大山西に城を築きここに 居らしめた。 大山初代義孝の孫に当るので 「孫め」といい孫目が後孫根に改名 されたという。 佐竹十六代義舜のとき、山入一 揆という事件があった。これは義 治死後義舜が十三オで相続したの で同族山人師義八世の山人義藤は 義舜の補佐役となって家政を扱っ ていたからこれを利用して義舜を 殺してこれにかわろうとはかった ので、義舜は身の危険を感じ太田 城を出て静神社・小場城と入った がいずれも要害が悪く、ついに外 祖父である大山城主義長に助けを 求めたので、義長は義舜を孫根城 に住まわせた。ここに居ること十 三年余り、文亀二年金砂城に移り 勢力を挽回しついに太田城に帰る ことが出来た。この様に佐竹本家 にとっては重要な役割を果した処 である。 城は自然の突端を利用し本丸は 約七十アール、周囲にかなりの土 堤を築き空堀をめぐらし整った小 城であった。道路なども城地に特 でに完成し給水を開始する予定で す。本工事完成により、飲料水は もとより保健衛生、消火用水等地 区の皆様の御期待にそいたいと思 っております。 この制度は、国民年金に当然加 入しなければならない方(強制加 入者)だけに通用されます。 例えば十年間加入しなければな らなかった方(明治四十四年四月 二日以降に生まれた方)が、ここ で被保険者の資格をとり、その期 間十年間を一カ月九〇〇円で納め ますと保険料総額は十万八〇〇〇 円になります。 これに対して六十五オから老齢 年金を受けるときは、二一万二二 五〇円(月額一万七六八七円)の 年金を受けることになります。ま た、受給権を取得した者(六〇オ 以上の者)が、繰上げ請求をすれ ばすぐ受給出来ますので、ぜひ特 例納付制度を活用し豊かな老後を きずきましょう。 有な作りで今でも宿と呼ばれる地 名も残されている。 今は空堀もうずめられ土堤も大 方崩きれ一部が残されるのみで現 在は大方河崎氏の宅地と所有地に なっている。 ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡〓≡≡≡〓 特別納付で 受給権を 確保しましょ ヽ【ノ スポーツの日 十日は「体育の日」。この日ある いはこの日の前後、秋晴れのよい 日を選んで学校や職場で運動会が 行なわれます。スポーツというと、 はげしい動きを伴う運動競技を相 像し、若い人や特定の選手のもの のように思っている方がいます。 スポーツを体育といいかえれば、 あやフジオ体操なら毎朝やってい るよ=…・といったお年寄りの方も 大勢いましょう。そうです、体育 の臼の制定された趣旨は、ひろく 国民があらゆる地域で、それぞれ の実情に即してスポーツができる よう、囲および各地方公共団体が 必要な措置を講ずるもの……とし ています。この日を機会に、ご自 分の運動不足を見直し、毎朝、体操 をするか、職場での柔軟体操には 進んで参加するようにおすすめし ます。とくにお子さんにおすすめ します。とくにお子さんに冷水ま さつや乾布まさつの習慣をつけさ せるのは今月が一番よいとされて います。なお、むかし子どものこ ろ走り蔵ペをやって負けたことが ないと仰っしゃる中年以上の方が トレーニングぬきで、いきなり飛 びだすようなことは避けなければ いけません。 季節の話題

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