No.70 1973(昭和48)年 7月
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(4) 第70号 三十度を越す酷暑の毎日が水を もとめてやまず、今年もまた水の 犠牲者のニュースが報じられてお ります。 村内小中学校も二十二目より夏 やすみにはいり待ちかねたように 水を求めて川や沼にとびだす。毎 年あとを絶たない悲しい水の事故、 尊い水の横性となっていきます。 家庭の医学 足のかかとにウオの目が痛い。 ウオの目は足の裏など圧迫した 部分の皮ふが角質増殖を起こし くさび形とをって皮ふにくいこ んでいるのです。痛みだすのは、 このくさび形の先端が圧迫によ り、神経の走っている真皮を刺 激するため。よくカミソリなど で削りとっている人がいますが、 学校で子供達は夏休み中の心 水の事故をなくそう〃‥ ウオの目の根は想像以上に深く 広いものをので簡単にはとれま せん。病院では、電気的に焼い たり腐触させて根治していくこ とがありますが、家庭での手当 としては、ウオの目専用の絆そ うこうをはりつけておくとよい でしょう。この絆そうこうには 中心に角質をとかす薬が塗って あり、しかも圧迫による痛みを 和らげるためにパッドがひいて ある便利なものであります。 水遊びの注意をど先生から指導を 受けていることと思いますが、夏 休みになりますと子供たちは学校 から家庭の管理下に入り、比較的 自由を身となります。 村では砂利採取業者の協力を得 て砂利採取あとの穴を埋めたり、 危険な場所には標式をたてたりし て事故防止につとめていますが、 何んと言っても家庭における子供 たちとの話し合いのをかで水の事 故、特に砂利採取あとの水たまり をど危険をところの水遊びについ て、よく話し合ってもらいたいも のです。 夏休みが終ってみんを元気吉日 焼けした顔で一人の犠性老もなく、 笑顔で二学期を迎えたいものです。 子供会の育成指導、花いっぱい運 動に協力、その他村民運動会等へ の協力参加と、頑張っております。 今は、会員二十五名で組織して おりますが多数の高校生に加入し ていただき、微力ですが本村の青 少年の健全育成に努力していきた いと願っております。 今日ほど、青少年健全育成を考 えなければ専らない時はないと思 われます。 桂高校生会ですが昭和四十六年九 月十八日発足いたしました。 一、子供会の育成指導及び、それ に必要な技術と知識の研究 善意銀行預託者 雑布一七〇枚 竹第一〇本 社布 高久長寿会 北方小学校へ 、地域における奉仕活動 、会員相互の親睦を図るための レクリエーションと目的を置い ております。. 現在行っている事業ですが地域 桂高校生会案内 皆さんの加入を お待ちしております 部落名 北 方 錫高野 高 久 高 久 阿波山 上 坪 阿波山 赤 沢 北阿高北上 波 赤赤赤下 岩 上下赤 八十二枚 什器 三十五本 北方老人会 北方小学校へ 方山 久万士下 沢沢沢f下船f下r下沢 四月分の出生 氏 名 加藤木勝彦 宮田 崇宏 加藤木正志 三村 拓郎 小堀 直行 猪野 美紀 君嶋 由美 君嶋あゆみ 死 亡 小堀 彦市 秋山よし江 大津主馬之介 田村 すゑ 君島 哲 所 コウ 角田と▼し子 所 あさ 五月分の出生 大高 善之 鬼沢 昌克 石井 真由 浅野 妙子 小林 真美 正 秀 七三七六七 八ニセ 孝尊夫力貢 八五三九八八六七 照二行 勇 好六男 保護者 庄 次 東 蔵 稔 北赤阿高葉栗阿 波 波 方沢 山 久 山 加石船仲 山 山谷 藤崎橋山 本本津 木 五思せ ツ 健郎一つ ギ正渡 下 坪 桐原 恵美 上 咋 高橋 博之 阿波山 小杉崎勇一 死 亡 高 久 介川 作寿/ 錫高野 高羽一雄 阿波山 桧山 たけ 錫高野 高羽 留吉 岩 船 笹原 五郎 赤 沢 関口 重男 上 印 猪野 親 上 叩 堀口金之壷 六月分の出生 孫 根 加藤木晴子 上 拝 仁瓶 正敏 下阿野沢 綿引 美幸 孫 根 加藤木貴子 阿波山 星野 修 阿波山 長山 和枝 阿波山 軍司 正司 阿波山 鈴木 勇 北 方 吉川 博行 死 亡 人事異動 退職 六月三十日付 小林 悦雄(住民課) 俊徹 茂輝昭重雄勝 九七四七 八 九七 八 明子肇男光博年一三 一三三八七00四 七 五 六 ノt 三 六六 一九 九七 三 四 八
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