広報かつら 第37号 1965(昭和40)年 12月
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広 報 か つ 欝37号 昭和40年12月20日 ○どんな日脚で「郷土誌」なつく るのか 教育警員会では、いま「棒材郷 土誌」の編さんを進めていますひ 厄坪村、岩船村、沢山村が合併 して「種村」として発足して十年 になります。この間、統合中学を 始め、構造改善事業など、訝しい 村造りの事業は進められておりま すが、苫い時代のものは忘れられ がちです。祖先が残してくれた 「文化浩産」を明きらかにして、 置辞にとどめておくことは、村民 に課せられた大切な萄務であると 思います。 琴付票閑の進歩は、めまぐるし い勢で、人々の考ぇをかースていき ます。地方から郡市へ、日布から 世界へ、地球から軍団へといった 外向性、遼心性は、限られた郷土 や祖国への定着撃っすくしていま す。今こそ、郷土を正しく認甑轡し 野蒜欝菌てることは、教習の貰 要な調陰といえましょう。 もちろん 学確教習においても 「郷土についての学習」は行われ てはいますが、複雑な敢胃内容か らいえば、限られた一分野にしか 過ぎません。したがってこれが学 習には、男冨な瞥酎祈必要としま す。.「桂村郷墓巴はこの聖賢な 質料となることでしょう。 ○どんな方針で騙さんするか。 いままでの郷土誌は、国家主戦 や自室中心主覇の考えによって響 かれたものが多く、とかく「お国 じまん」の傾向がありました。郷 土を正しく認識するためには、な るべく実証附な科学性にⅡって腎 くことにしています。すぐれた特 定の人物の劫蹟をたたえることも 大切ですが、もくも<として働き ながら、郷土をささえてきた庶長 の歴史にも価値があります。 現在の庄摺は忙しく、こまかい 寡言ていねいに読むといった時 間が失われていきます。このため できるだけ写眞や地図を入れて、 理解しやすくしました。何といっ ても「親しまれる郷土誌」であり たいと念じています。このため文 章もできるだけ平易にして、中学 桂村郷土誌の編さん概要 自巾 〓〓 念m」 弓 しょう。一つの史実も、そのみ方 によって解釈にたいへんな透いを 生じます。それは社会科の教科習 にさえ見られる慣向です。私たち は公正な見場にたって、特定の考 えにとらわれないようつとめてい ます。 ○どんな内容賛腎くのか まず「種村の自堅から出発し ます。郷土の山や川、気慌や土質 など。-苦は地理といわれたも の つぎに「細土の移りかわ旦を 明きらかにします。普の要は、 神代の物語から始まりましたが考 古学の置場は、数千年の普の野を 明きらかにしてくれました。村内 にのこるいくつかの遺跡もとりあ げます。そして百代から、前借も 新しい太平洋戦争を凝て、オリン ピックの開かれた昭和三十九年ま でー背は歴史といわれたもの 琶二には、私たちの祖先が生産 してのこしてくれたもの1-(文 化財1-といいます)をとり上げ ました。その内窄は、いろいろの 分け方がありますが、一際「坊や 館あと」 「神社やお寺」「民俗や 信仰伝聖「教育や文学、莫術、 彫刻、去弄苫」 範四には、村の政治経済産業、 その他、「変通遅輸」「厚生治 安」「方言」「観光堅など、項 目にして二十二項目に及びます。 これ梁各部清から累材狩由って並 べてみました。 そして東榎に、これまで郷土の 発展に尽<してくれた、人々の事 厨祈述べ、なお、旧村時代に、村 政にあずかった人選の一整欝つ けて、巻著聞ぢたいと考えており ます。 ○どんな釈織で嗣繋しているか。 種村の郷土誌を野ごんLようと する斯きは、二三年前からあった のですが、欄が熟さないまま延引 していました。今年六月、種村郷 土誌野亡ん琴員会」が発足し、次 の人連によって仕事が進められる 一1二年程度のものにしたいと考 えています。 現代は鳳凰の混乱期ともいえま ことになりました。(敬称家格 †) 構成員には、役場、教胃賓員全 学櫻、学識者から選ばれました。 会長大墾二千三(村長) 副会長平賀靖国(村議会議長) 関 一(教育長) 窮さん買員長網引晃(肩小学 長) 嗣さん姿員 役場 和田武潤(聞役) m靡六軒(顆滞課長) 雲義貞会 大呂定衛門(賓員長) 学識脛験者 徳宿 素思(阿豊山) 大越 深診(阿波山) 広茶守治郎(粟) 皿節穴森郎(市久) 仲田武一(飛沢) 横山 猛(種村校長会会 長) m潜流一男(種村教頭会々 長) 写真習永常(沢山小教諭) 事務局教育賓員会田三村社数 主事 照さん賓員会は、隔月毎に開か れます。要員が分担して、調査し た質料は、事務局において孔限印 刷され、「草稿」として、全委員 に読み合わせ検討されます。欠席 された軍員には、澤碍祈送っで痍 討していただいて居り、すでに 「親八賃」までが環稿の運びに至 りました。その内容は、「棒材の 自然、歴史、城や館、民俗、信仰 教習、文化、方言」等です。 写真も、旧岩船鞄区は同根賛除い て一応おわり、字義二回の掃影 を、旧坪、沢山方面に行います。 また一月の軍員会には、「宗教」 「交通渥鞠」関係の草稿糞検討す る予定でおり写す。 ○村民の皆さんへのお顔い。 郷土誌の内容は、多方些にわた 学校 広茶 神贅 所 冨田 山形 徳宿 所 茂樹(群小教諭) 俊雄(北方小数頭) 昭雄(冒胎小教諭) 森雄(沢山小ク) 突(桂中ク) 邦思(桂申ク) 弟己(桂中ク) 道正(教育雪国) 三男(固) 滞(問) り、ぼう大な質料を必要とします 私たち霹員は、専問家ではありま せん。また、それぞれの仕事をも つている人ばかりです。いろいろ な困難の中から、この軍業の完成 に努力しております。 この事業が、より完全に、一日 も早く完成させるためには、村民 の皆さんが、この事業の内容をよ く御理解下さって、御協刀下さる ようお願いいたします。「うちに はこんな古い暫物があるとか」、 「うちの部落にはこんな言い伝え があるとかJ 「このことばぜひ郷土誌へ習い てほしい」といったことを、革務 居でも買員の方へでも連帯してい ただきたいのです。 郷土誌には「一ページ一冊」と 十月二十七日、茶村沢山小学校 は、三か年間の県教習庁指定の実 験学校の成果沖公開する完結糞麹 会津開いた。 この日朝九時には、県教育庁や 水戸地方教育事務所の係官をはじ め、県下全地域よ旦一百名近い先 生方が、萄替る秋摺れの布野沢山 小学校にその成果浄参観せんもの と欒まってきた。 まず、手どもたちの通常する児 玉朝会に強い示唆撃っけた参会の 先生方は、練習の時間(目習)に 手どもたちの啓写刀(その速さ、 正しさ)計算刀に目窄みはり、一 時間の援業に学習の約束、態貰な どのよさにおどろき、沢山小学校 児童の刀のついている姿に感たん の声衆あげていた。それに続いた 先生方の研究党葬にも二教室にあ ふれる参会の先生方は、沢山小の 子どもの学刀の嵩さい根拠祈知り メモ経とる姿も感銘深げ一であった 午筏は県内関係者り、先方生の熱 譜児喜の学習閻露〃よさをたたえ て≡年間の労敢闘するあいさつと 茶相関敢胃長、大森村長、横山校 長の参会を野し村の現状訝舘関す るあいさつがあり会は終った。 この完群発蓉会は近隣にはかっ てない参会者(約二冒名)があっ というたとえがあります。「三〇 多大の成果を挙げた ヒ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡〓一 ニ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡「 沢山小学校め発表会 「 ■ ) ○ページの郷土嬰轟くには、三 〇〇冊の茶狩読め」ということで たいへんな時間と労刀牽琴レます それにもましで私たちは「足で暫 く郷土誌」-別にいえば、訪問し て実際にたしかめる一粒道な掃禦 をしていきたいのです。 ○おわりに、 三十年前、私たちの村の徳宿克 恩先生は「城北郷土吊茶」を響か れて、旧飯買村より旧伊勢相打ま で、刑部一打八村の郷土誌狩響か れ。今なお一部の人には愛読され ております。私たちは、先人の御 苦心汐偲びつつ仕事祈進めていま す。また大学、帯板の先生砕始め 郡外の方々から、たいへんの御協 力や御指導もいただいていること を感謝しております。 (嗣さん覇員長岩船小学校長) たことはももろん、その参会者の 全員が感激した会は珍らしく、参 会のひとり県下の大磯長といわれ る大洗免一中学櫻長石周先生もそ の感激に「子ら帰る背のびのびと 秋の空」の一句祝詠じ賃貸のこと ば牽残され、また教習事滞所教育 課長網引先生は、この研究はこの ままうもれさせるのはおしい、全 国に発蓉する関金を作って教諭す べきであるといわれているほどの ものであった。 領日にな〔て参会者即ら感動空 教わす綴りが多数よせられており 水戸地方教育季節所山口所長より は、すばらしい男衆会に出席でき なかったこと窄残念がる手管りよ せられている。 このような全県下に種村の教習 の名狩挙げる発葬会の成果のかげ には、沢山小学校の横山校長以下 の先生方の心血を注ぐ骨おり、そ れに応じた子どもの努刀、それを 心あたたかく育てたPワAの皆さ ん、そして狩当局者の心労、蓄会 諸盈の理解、県関係者の指導があ ってのことであった。成果の大き さに拍手押送り尽刀された各位に 感謝し、この面での種村の名控ま すますあぼるべくこれからの勢力 を祈る。 去る昭和三十入牢四月に茨城県 教育庁より「学刀向上の方策」即 も、子どもの学刀を高めるにはど のようにしたらよいかについて、 三か年続けて研発し、その研究の 結果祝県下の各学問に発表せよと いういわゆる実験学校の指定枠視 けました。 学刀祈濁めるということは現在 はもちろん当時の県教育界でけ最 も大きた問返であり、璽ナをもつ 親としての成も関心の深いもので ありますので、私選ははたしてわ れわれの刀で三か年という限られ た時間内で、これ努県下に蚤謝す るだけのしごとが出来るだろうか と内心不買狩感じたものでありま した。 しかしこの間宅はわれわれとし てけ当然研完しなければならぬ問 簸であり、程釆も私達が斑も刀を 入れ苦労している間亀だけにやり がいのある問砲であり、これによ っで私達が誓っている子どもの刀 が一層伸びでくれれば幸であると 全職員一丸となってとり親むこと といたしきした。 先ず学刀を闇めるためには紆局 宇どもひとりひとりのもつ刀の上 に研しい力狩摺実につみ上げてゆ くことが大切であると考え、それ 教研式・標準学力検査(国語) 沢山小学校はどんな 研究を進めてきたか 三八年六月の成績を 四〇年t一月の戊績の にはどんた効果のある学習指導を してゆくのがよいか牽研究の大き な冒あてとしました。 さで現在の教育は訳図のように ひとりの子どもの人格を四っの領 域の指導によって濁めてゆくこと になっております。学力はこれら の慣域全体の甲で帯められなけれ ばなりませんが耶詔のように三か 年という限られた期間内にその研 究滞果粉蚤関するという使命があ りますので、私達は教科の申の国 語算数を学刀の某曙関なものであ ると考ぇ、この二教科の刀牽嵩め ることによっで偶の教科や慣域の 学刀をも富めてゆこうとのみ通し をたて東した。 二教科だけの研究といっても考 えてゆけば大変です。苦のよみか きそろばん式では今の学刀とはい えません。国語の刀とはよむ力、 かく刀(作文も入る)、き<、は なす刀、ことばの刀、をつけてゆ かねばなりません。費敬でも計算 力や蜃と柳琴図形などなどたく さんあります。そこで茶校ではさ らに研発の目あて帝国詔ではこと ばの刀貯伸ばすことヾ算数では訂 算刀牽高めそれを事実問題具体的 場面によイ慣われるようにするに はどうしたらよいかに雪雲養い て研究しで▲参りました。 さてこのように研発を小さくし ぼってやってはたして国語の刀、 算数の刀がつくだろうかの軍間が 出ると思いますが次の衆狩御覧い ただきますと全体の力が向上して いることがおわかりいただけると 思います。 た場合です 00と 簡型の都合上算数科の向上のよう す祈習隙いたしますが、同じよう に伸びて参り写した。 環栢発衰翠玉る十月二十七日た くさんの参会者のお喋りをいただ き盛会にかつたくさんのおほめの ことばをいただい終りました。 ここに至るまでの三年間随分苦 労いたしましたが、その苦労が宇 どもたちの学力の濁まりとなって 表われますとき私達は茶当の苦び 綿 ○入選したポスター 皆さんは、十一月中郡閻の折り こみに、「もっと牛乳砕飲をフ」 という鰐腰板興のポスターを見ら れたことと思います。一等入選の このポスターの乳牛の給は、堅倉 小の「ちえのおくれた子」 (特殊 学取)の作品です。 O「さぇのお<れた子」とは。 字を読んだり、習いたり、また 計算する。考えるーなどの働きを 期間といいます。これはいろいろ た検賢によって、数字であらわさ れ郷関指数といいます。 普通の子は、知離指数一〇〇-一 二〇です。一円〇をこえる子を、 「天才児」といって、一〇万人に 七人位しかありません。郊開指数 七五以下の手は、「ちえのおくれ たる」 (横滞)といわれ、一〇〇 人に四人以上あります。文部習の 調琵によると全国では六七万人に のぽるといわれております。 ○今までの故胃では。 今までの既習では、普通児も 「ちえのおくれた即」も、同じ教 科智で、園じ方法で教育か受けて いますから、その手はわからない ままり勉強をしいられ、友だも糾 らは、下ずみにされ、しらずしら ずのうちに、(百分は友だちより 劣っている)⊥箋議におちいっ ていました。もちろん教師は、項 扱いに考慮はしますが、四〇-五 〇名の予ども狩環持っては、辛が 届かないのが実情です。 ○親は。 人の子の親として、誰もが勉強 のできる、美し叶すなおな子衆望 『ちえのおくれた子』 の学級へ人級のすすめ 弓 晃 むでしょう。しかし、いろいろな 原因によって、「ちえのおくれた 予」であったとき、(お耶はなま けているから勉強ができないの だ)といって、むりに勉斡させた り、叱ったりすることは、子供が 反抗したり、卑屈になるばかりで す㍉ ちえのおくれは、恥でもなく、 外聞の悪いことでもないのです。 それけ病気ではなく、生まれなが らにして、「背が低い」ことや「 色が黒い「と固じように累質なの です。 O「ちえのおくれた子」の学級。 (特殊学級) 国では、このように不幸な宇の ため、特殊学級の設置前奨即し、 種村で立石船小と樫申にできてい ます。茨城県には、約七〇〇の中 学櫻がありますが、すでに二一七 樫山設蹟されてあり、常北町など は、閏年箆は全部の学校に設けら れます。 特殊学級は、十玉名までが定員 ですから、先生の行き届いた指導 によって、生滞に即した学習を通 して、やがて社会人としγ自Ⅱで きる教育がされます。ちえのお< れた子が、今まで埋もれた天分が 伸ばされた研はいくらもあります 始めに習い雪竪倉小のポスター もその一例ですし、菅山小では、 入学以来、えもかけないー一党生 とも話さなかった子が、まとまっ た絵をかき、先生とも璽んや語す ようになった研が報告されていま す。 ○子どもに芦別署つけないか。 を感じます。 それにつけても敬刀花私連をこ こまでご相澤下さいました県の先 生方考始め、ご理解あるご援助哲 くださいました町当局、相識会、 そしてこのこと牽我がことのよう にお郡けくださいましたPTA、 教胃賓員会、村内各学校のご協刀 に対し讃心より感謝申し上げご報 告といたします。 くれ」は連伝でもなく、「がいぶ ん」の悪いことでもないのです。 それは一〇〇人に四人で生まれて くる偶然なのです。 ○手許つなぐ親の会 「ちえのおくれた宇」の幸福を願 う人選によって、「手をつなぐ親 の会」がつくられています。水戸 而や、日Ⅱ市はその支部がつくら れて、滞躍しています。水戸市の一 山粗糖区も、桔村と観じような農 山村ですが、全家歴が毎月十円ず ずきょ印して、特殊学放か援即し ています。 どうか、↓ちえのおくれた宇」 の教習が向上するよう、村民の方 方の御理解と闇l協刀をいただきま す。 (御悪鬼などありましたらお寄せ 下さい。 岩舟小 硬長 ほんとうの平等や公平というの は、ひとりひとりの離刀にあった 教育費させることだと思います。 胃の強い苧と弱い子に、こわめし 針同じように与えていたのが、今 迄の教胃といえましよう。 「うちの宇をバカ扱いにする」と か「そんな学級へ入れたら、嫁の さわりになる」などというのは、 親だけが学兄たみえであり、予ど もの幸福にはなりません。エ場に よっては、覇聴い隈、普通児より も商く雇ってくれるところもあり ます。域国中(石岡而)の女生徒 などは、すばらしいミシンの技術 な鼻につけています。 ○親よ、勇気と理解牽持て。 百分の宇が、「ちえのおくれ」 だと知ったとき、感くの親は失望 し悩みーー中には要を責めたりし て不和や不幸なもたらすーーしか しその中からほんとうの苧どもの 幸福を発見していきたいものです 世界の文琴パールバックの、 「母よ、欺くなかれ」という容の 中には、「ちえのおくれた予Jを もった母親の悩みと、幸福努発見 喝 するまでの苦心が腎かれています ソニーの社長、井深大作さんは、 次女が精滞ですが、多くの不宰な 慧義めて、カタログの郵送空し しているそつです。背滴児にはで きない、恩納な作業も、根気よく つづけられるのは教育による訓練 のたまものです。仲野好雄さんと いうのは元陸軍の帯級参謀ですが その手も精蒋でした。「ちえの準

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